方法としてのディスプレー:国立近代美術館の会場設計について

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タイトル別名
  • Display as Method: The Installation Design of the Early National Museum of Modern Art in Tokyo
  • ホウホウ ト シテ ノ ディスプレー : コクリツ キンダイ ビジュツカン ノ カイジョウ セッケイ ニ ツイテ

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抄録

<p>本論は発足した当初の国立近代美術館(現:東京国立近代美術館)とその特別展(企画展)の会場について検証する。戦前はもちろん戦後においても、日本には近代や現代といった名称を掲げるミュージアムは少ない。そのため占領期から1950年代には、新たに登場する近代美術館の活動とデパートメント・ストアや画廊、公園等を利用する芸術運動とが入り交じっていた。だが丹下健三や谷口吉郎といった建築家たちが「芸術の総合」という標語を掲げ、日本の国内外で開催された博覧会や展覧会の会場を設計していたことは次第に忘れられ、これまでの研究でも二次的に扱われてきた。また明治や大正、昭和戦前期、戦時下の博覧会や展覧会をひとつひとつ挙げるまでもなく、こうした対象を遡り考察しうることは自明である。しかしながらこうした時期を対象としてこれまで研究の成果が蓄積されてきた一方で、戦後の動向については具体的な検証がなされぬままにあり、それをどのように位置づけていくかについては課題となっている。そこで本論はこの観点から、戦後の建築や都市に関わる人々が関与した国立近代美術館の会場設計に焦点を当てる。またそのために本論は東京国立近代美術館に保管される特別展の調書をはじめとする先行研究で未検討の資料を用いて、展示空間を品物や作品などが並べられた物理的な拡がりとして読み解くことで、展示する施設あるいは制度を事物から捉える方法を示す。具体的にはまず、国立近代美術館の性格を規定する敷地の選定や建築物の改修、そして発足時の特別展を検証する。続いて同館で開催された一連の「現代の眼」展などを事例として取り上げることで、こうした特別展の作品や器物あるいは資料が、それをつくりだした作者によってだけではなく、ディスプレーを含めてどのように視覚化されたのかを会場から読み解いていく。</p>

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