鹿児島県南さつま市坊津町における昭和時代のかつお漁業と食生活

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タイトル別名
  • Skipjack fishery and dietary habit in Bonotsu town, Kagoshima prefecture, during the Showa period

抄録

<p>【目的】鹿児島県は古くからかつお節生産が盛んで全国の約7割を生産している。その理由として南さつま市坊津町出身の医師,原耕が昭和初期に日本初の南方かつお漁場を開拓し,当時の坊津町や枕崎市が日本有数のかつお遠洋漁業基地となったためである。現在のかつお節生産地は枕崎市や指宿市山川町だが,以前は坊津町も生産しており,カツオを使った郷土料理も残っている。そこで本研究は,原耕の出身地である坊津町に注目し,かつお一本釣り漁業が盛んであった昭和時代の食生活を明らかにすることを目的とした。</p><p>【方法】坊津町に居住の一般女性(86歳)とその息子(65歳)に2014年11月に聞き取り調査を行った。また,2017年8月にカツオを用いた郷土料理に関する聞き取り調査を行った。</p><p>【結果および考察】坊津町は古来半農半漁の職業形態だが,農用地は町内6.2%の2.39km2にすぎず野菜は行商人から購入することが多かった。一方でかつお一本釣り漁業が盛んで,若い男性の多くはかつお漁船で1カ月近くの航海に出た。各家庭にはカツオをさばくための外流しが設置され,魚と言えばカツオを指した。坊部落に4軒あったかつお節工場(商品を常時作るのではなくカツオ漁船が入港した時だけ開く店(いで小屋))で各家庭から持参したカツオを手間賃だけでかつお節にしてくれた。また“こぼっさき”と呼ばれるカツオをよく焼いて長時間煮た保存食が,ハレの日だけでなく日常的にも食べられていた。町民は南方漁場から戻った船員から貰う食料(船上で作ったカツオやシイラの加工品やパッションフルーツ等の南方系フルーツ)が楽しみだった。坊津町のかつお一本釣り漁船は社会情勢やまき網の台頭などにより平成初期には姿を消した。</p>

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390564238111707776
  • NII論文ID
    130007695537
  • DOI
    10.11402/ajscs.31.0_110
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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