On the Beginning of <i>Laṅkāvatārasūtra</i>, Chapter II: Reexamining the Dialogue Between Bhagavat and Mahāmati

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  • 『楞伽経』第2章冒頭部について――世尊と大慧の対話再考――
  • On the Beginning of Lankavatarasutra, Chapter Ⅱ : Reexamining the Dialogue Between Bhagavat and Mahamati

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Abstract

<p>10章から成る『楞伽経』のうち本体部分といえる第2章から第8章は,世尊と大慧との対話で構成されている.そのうち第2章の冒頭部は以下のような構成となっている.大慧讃仏vv.1–8;〔偈問と偈答〕大慧請問v.9―世尊応諾vv.10–11;百八問vv.12–59-偈答(百八答)vv.60–98;〔百八句〕;〔正宗分〕.</p><p>そのうち,百八問と百八答は,一読してわかるように,奇妙な対話となっている.大慧の質問に対して世尊は直接的に回答をすることなく,順序を変えて大慧の質問を繰り返しているのみだからである.しかし,当該箇所を経本体との関連を念頭に検討したところ,以下のような結論を得た.</p><p>世尊の回答のうち72–79偈は独特の位置を占め,大慧が聞くべきであった質問と位置付けられる.そして,それは極微に関するもので,『十地経』第八地の記述との関連が予想される.そして,大慧の百八問に対する世尊によるそれ以外の回答(62–71, 80–96)は,どうしてそういうことを聞くのかという,たしなめであると理解される.</p><p>一方,世尊が回答していない部分は,経本体で回答されていることがある.「偈頌品」に対応がみられることすらある.</p><p>ゆえに,本箇所の意義は従来考えられていたように意味のない質問とその繰り返しではなく,一定程度の構想をもって構成されたものとみられる.</p><p>なお,『楞伽経』の注釈者である智金剛(Jñānavajra)は,世尊は62偈から大慧の質問を繰り返したのち,70c偈で,それらは唯心であるという回答を与えていると解釈している.</p><p>では,世尊によって偈答でもって回答(繰り返され)され,質問すべきではないとたしなめられた質問の意義は何か.智金剛によれば,大慧の質問の意義は,人々に,主に決択されるべき意味は,一切を包摂する心の法性である真如であると理解させることにある.これは経全体の基調からいって,穏当な解釈であると思われる.</p>

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