書誌事項
- タイトル別名
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- The Body in Video Game Experience
- テレビゲーム体験における身体--M.メルロ=ポンティによる時間性と空間性に関する議論を手がかりに
- テレビゲーム タイケン ニ オケル シンタイ M メルロ ポンティ ニ ヨル ジカンセイ ト クウカンセイ ニ カンスル ギロン オ テガカリ ニ
- From the Point of View of Maurice Merleau-Ponty’s Discussion on Temporality and Spatiality
- M.メルロ=ポンティによる時間性と空間性に関する議論を手がかりに
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抄録
テレビゲーム体験は、M.メルロ=ポンティの理論からどのように考察できるだろうか。彼は「奇妙な」空間に関する考察で、異なる空間への「投錨」とそのための「投錨点」の必要性を論じている。投錨は「構成的精神」によるのではなく、身体が新たな空間内の諸対象を「投錨点」として、そこに住みつくということである。だがその投錨(点)は対象ではなく地であり、異なる空間を同時にとらえることはできない。<br> テレピゲームにおける「客観視点」は、「主観視点」とは異なり、画面上にキャラクターが登場しそれを操作するプレイヤーの視点である。この時、キャラクターの身体は投錨点となり、プレイヤーの動きに応じてキャラクターは同時に動く。この現象を「同期」と呼ぶ論者もいる。だが、この考え方は二重の空間把握と物理的身体を前提しており、身体はその特質からしてまず「潜勢的身体」としてとらえる必要がある。<br> また、奥行の考察からは、対象同士、そして対象と身体もけっして並列的な関係にあるのではなく、互いに他方を導き入れる「含み合い」の関係にあることが示される。そして、この「含み合い」を「投錨」の観点から理解することで、ゲーム体験においてはプレイヤーの身体とキャラクターの身体とがまさしく「含み合い」の関係にあることが分かる。そして、過去・現在・未来もまた「含み合い」の関係にあるとともに、地となり時間を湧出する、潜勢的身体のもつ非反省的な主体性は、ゲーム体験によって解体されることはない。
収録刊行物
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- 現代社会学理論研究
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現代社会学理論研究 4 (0), 119-132, 2010
日本社会学理論学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390846609810499328
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- NII論文ID
- 130007806808
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- NII書誌ID
- AA12203259
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- ISSN
- 24349097
- 18817467
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- NDL書誌ID
- 10690798
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- NDL
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可