佐伯胖のいう子どもを「見る」こと

書誌事項

タイトル別名
  • “Looking at” a Child in SAEKI Yutaka’s Thoughts
  • 佐伯胖のいう子どもを「見る」こと : 「子ども理解」を超えて
  • サエキ ユタカ ノ イウ コドモ オ 「 ミル 」 コト : 「 コドモ リカイ 」 オ コエテ
  • ― Beyond “Understanding” a Child ―
  • ―「子ども理解」を超えて―

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抄録

<p>本稿は、佐伯胖のいう子どもを「見る」ことの意味を明らかにする。佐伯にとって保育者が子どもを「見る」ことは、子どもの行動を観察し、子どもの内面にその原因を求めて、解釈することとは異なる。子どもを「見る」とき、我々が見るのは、子どもなりの「善さ」の追求である。我々は子どもに対して「善くなってほしい」と願いながら子どもを「見る」のである。子どもを「見る」ことと、子どもがその期待に応えようとする相互作用の中で生じる現象が「発達」である。佐伯はこれを「発達のドーナッツ」として示す。子ども(I)は共感的他者(YOU)を媒介として文化的実践の世界(THEY)に徐々に参加していく。ここで言われる「文化」とは「善さ」を追求した人間が共同的に形成した「善き」ものである。子どもを「見る」ことは、文化として積み上げられた「善さ」を念頭に置きながら、子どもの「善さ」の追求を見ることであり、「善くなってほしい」と願いを込めることである。</p>

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