華北における中国雅楽の成立
書誌事項
- タイトル別名
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- The formation of authentic Chinese music in northern China during the 5th and 6th centuries
- 五~六世紀を中心に
抄録
本稿では、五~六世紀を中心として華北の諸政権において行われた雅楽の復興・再建のプロセスに注目し、楽制史の観点から、中国の「正統」というものを見直した。<br> 後漢末から五胡十六国時代にかけての混乱によって漢以来の楽制が失われたのち、華北を手中におさめた北魏は、四世紀末から五世紀に鮮卑の音楽を利用して新しい楽制を立てた。しかし、それも爾朱兆の洛陽襲撃によって失われる。その後、北魏末に西涼楽を利用して楽制の欠を補うことがなされた。西涼楽とは五胡十六国時代、呂光が西域地方の亀茲楽に関中地方の秦声をまじえて作った音楽のことである。<br> この西涼楽を中心とした雅楽は、北魏の流れをくむ北斉・北周両王朝にも踏襲されて「中国」の音楽の基本となった。ただし、西涼楽は本質的に「中国」の伝統的な音楽ではなかったから、それを「中国の伝統」に則ったものとして見せかけるために、北斉・北周両王朝においては、理想上の周の制度について記したとされる儒学の経典『周礼』を利用して、呼び名などを周の制度に合うように改め、新しい雅楽を「伝統」的なものとしてカモフラージュした。<br> その際の『周礼』の用いかたについては、同時代の南朝において復興しつつあった『周礼』研究の影響が認められる。とくに北周について言えば、南朝系の沈重の果たした役割が大きかった。一方、雅楽の胡楽化批判から始まる隋の楽制改革は、南朝系の何妥の活躍もあって、西涼楽よりも南朝清商楽の影響を強く受けるようになる。その結果、隋の雅楽は南朝清商楽の強い影響を受けた音楽を『周礼』によりカモフラージュしたものになった。<br> 以上から、梁・北斉・北周・隋の雅楽は、『周礼』によるカモフラージュをへることで、中国の新たな伝統として確立したといえる。
収録刊行物
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- 史学雑誌
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史学雑誌 129 (4), 1-29, 2020
公益財団法人 史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390570796245514368
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- NII論文ID
- 130008086209
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- ISSN
- 24242616
- 00182478
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可