<論説>カルカッタの建設と都市形成 : 十八世紀末までの都市誌の試み

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タイトル別名
  • <Articles>Establishment and Urbanization of Calcutta
  • カルカッタの建設と都市形成--十八世紀末までの都市誌の試み
  • カルカッタ ノ ケンセツ ト トシ ケイセイ ジュウハチセイキマツ マデ ノ

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抄録

イギリス東インド会社が、スタニュティに商館を設置したのは、一六九〇年のことであった。以後、カルカッタは、イギリスのベンガル支配ひいてはインド支配の拠点都市として成長していく。本稿では、十八世紀末までのカルカッタの都市形成を、つぎの三点からあとづけた。 第一は、十七世紀後半におけるバーギラティ――フーグリ水系への、政治的・経済的成極化の進行と、イギリスのベンガル進出の過程である。そのなかで、チャーノックによるスタニュティ選定の経緯について検討した。第二は、十八世紀前半におけるカルカッタの成長過程である。とくに、カルカッタの後背地の形成と初期の都市プランについて検討した。第三は、十八世紀後半におけるカルカッタの変容過程である。シラージ=ウダウラーからのカルカッタの奪回と、プラッシーの戦いでの勝利は、カルカッタの性格を大きく変えた。それを契機に、カルカッタは、ベンガルにおける商館都市から、インド支配の政治的・軍事的拠点へと変貌する。その変貌は、再建カルカッタの都市プランにも明瞭に刻印されている。この時期に、現在もつづくカルカッタの基本的な都市構造はできあがり、またイギリス人地区とインド人地区との空間的セグリゲーションも明確化していく。

収録刊行物

  • 史林

    史林 60 (6), 797-839, 1977-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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