<論説>平安初期における鉛釉陶器生産の変質

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タイトル別名
  • <Articles>Transformation of Lead-Glazed Ware Production in the Early Heian Period
  • 平安初期における鉛釉陶器生産の変質
  • ヘイアン ショキ ニ オケル エンユウ トウキ セイサン ノ ヘンシツ

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抄録

古代窯業生産において最も工程を要する生産物に鉛釉陶器がある。鉛釉陶器生産は、弘仁年間、九世紀初め頃に生産地の拡散・生産内容の変質・生産量の増大といった大きな変貌を遂げる。本稿は、この平安初期における鉛釉陶器生産の変質過程を跡付けながら、その歴史的背景を追及することに目的を置いている。検討の結果、この段階に新たに成立する尾張と長門の生産地は、中央主導の形で畿内から技術導入されていることを確認した。そして、従来議論の分かれていた「弘仁瓷器の伝習記事」は工人を畿内で技術教習し、その工人を派遣して尾張や長門へ緑釉技術の移植を図るという過程の重要な一段階を示すものであり、それは『延喜式』にみられる年料雑器の中央への収取と直結するものであると考えた。また、その背景としては種々想定されるが、なかでも筆者は弘仁期の儀式整備の流れを重要視し、国家的な儀式や饗宴における使用を主目的に唐風文化を体現する高級食器としての位置づけが嵯峨朝段階で新たに鉛釉陶器に付与され、その国家的な需要が生産の転換に導いたものと判断した。

収録刊行物

  • 史林

    史林 77 (6), 871-902, 1994-11-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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