安岡章太郎の短編小説「ガラスの靴」考--透明な物語に埋め込まれた屈辱・権威・〈公〉のモチーフについて  [in Japanese]

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Abstract

本稿では、「第三の新人」作家、安岡章太郎(1920-)の文壇デビュー作「ガラスの靴」(1951年)の作品分析をおこなう。「第三の新人」という呼称が、先の「戦後派」たちの作家に比べ、難解さ・思想性・政治性がないということをさして使われたように、通常、本作品は、占領下という時代状況にも関わらず、私的世界が描かれた、どこか童話的な透明な物語として読まれてきた。しかし、本稿の分析で分かるように、そこには、確固とした、敗戦という現実へのまなざしがあるのであり、主人公は、新しいアメリカという<権威>=「第二の父」のもとで、敗戦国民という屈辱感を全面的に抱いていることが分かる。そこには、江藤淳が1970年の論考で、対米依存型の日本社会を「「ごっこ」の世界」として捉えた事態が、まさに<私>のレベルで演じられているといえる。

Journal

  • Language and information sciences

    Language and information sciences (8), 233-249, 2010

    東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻

Codes

  • NII Article ID (NAID)
    40017096020
  • NII NACSIS-CAT ID (NCID)
    AA11831019
  • Text Lang
    JPN
  • Article Type
    departmental bulletin paper
  • Journal Type
    大学紀要
  • ISSN
    13478931
  • NDL Article ID
    10665730
  • NDL Source Classification
    ZK21(言語・文学)
  • NDL Call No.
    Z71-J996
  • Data Source
    NDL  IR 
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