<論説>西晋恵帝期の政治における賈后と詔

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タイトル別名
  • <Articles>Empress Jia and Imperial Edicts during the Reign of Emperor Hui of the Western Jin Dynasty
  • 西晋恵帝期の政治における賈后と詔
  • ニシシンケイテイキ ノ セイジ ニ オケル ココウ ト ミコトノリ

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抄録

従来、西晋恵帝期の政治に関しては、同時期に発生した所謂八王の乱の研究が主流であり、純粋な恵帝期の政治史研究というものは、これまでに充分には行われてこなかった。本稿では、恵帝の治世の前半期(二九〇〜三〇〇) の政治史を分析し、この期間における恵帝の権威と賈后の関係の解明を目指した。賈后は恵帝から手詔を入手し、それによって軍を動員し、クーデターを起こして楊駿・汝南王亮・衛[カン]らを殺害することで実権を掌握した。その後の政治においては、詔(特に手詔) の発令権を実質的に掌握し、また外戚・宦官を利用して、朝臣に対する自らの優位を確保した。しかし、趙王倫とその腹心の孫秀らが詔の偽造によってクーデターを起こしたことにより、賈后は倒される。以後、彼らは詔を偽造して政敵を廃除し、趙王倫の皇帝即位後は、孫秀が手詔を自ら作成し政治を行った。これにより、皇帝の権威は残ったものの、皇帝の詔によって臣下に命令を下し、また会議において裁可を下すといった政治上の役割はほとんど失われた。

収録刊行物

  • 史林

    史林 94 (6), 817-846, 2011-11-30

    史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)

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