案内記と奇談集

書誌事項

タイトル別名
  • Travel Writings and Strange Stories: Manuscripts and Printed Books in the Travel Literature of the Edo Period
  • 案内記と奇談集 : 江戸時代の紀行における写本と版本
  • アンナイキ ト キダンシュウ : エド ジダイ ノ キコウ ニ オケル シャホン ト ハンポン
  • ――江戸時代の紀行における写本と版本――

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抄録

<p>江戸時代の紀行の多くは写本で流通した。これは新しい時代にふさわしい紀行の基礎を作った江戸時代初期の貝原益軒の、「旅先の土地を客観的に観察し正確に描写して、豊富な情報を読者に伝える」という創作姿勢が生み出した結果である。</p><p>益軒自身の紀行は、彼が新しい紀行文学を創り出すという正面からの挑戦を避けて、実用書として役立つものを書くという一種の韜晦を行ったことから、実用的な案内記という形式で出版された。それでも紀行作家たちに強い影響を与え、その創作姿勢は次第に広く共有される。だがそれにともなって、雅文紀行も含めた江戸紀行の大多数は、旅先の各藩の内情を詳しく記録することが欠くことのできない要素となり、それは板行を困難にすることにつながった。</p><p>江戸時代中期の、もう一人の代表的な紀行作家橘南谿の作品もまた、紀行ではなく奇談集の形式で板行されている。そこにはおそらく、虚構性の強い奇談集という外見をとることによって、情報の公開に関する問題を回避しようとする意識があり、この作品が広く読まれることによって、同様の感覚は他の紀行作家にも生まれていた。</p><p>そのような試みをすることなく、あくまで伝統的な紀行の形式と、新しく生み出された手法とを守った紀行作家たちは、自分の周辺の狭い範囲で写本として読まれることで満足するのと引きかえに、取材や表現の制約を受けることなく心ゆくまで紀行文学としての作品の完成をめざした。そのなかで江戸後期の小津久足の紀行類という最高の傑作も誕生している。それらすぐれた紀行の多くが板行されなかったことは、現代の感覚では読者にとっていささか不幸に見えるかもしれない。しかしそこには、高い水準を持つ紀行があらゆる場所に存在し、限定されない情報が読者の選択にゆだねられているという、今日では失われがちな豊かさがあったこともまた見逃せないのである。</p>

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 63 (10), 12-22, 2014-10-10

    日本文学協会

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