異読に基づく写本系統の探究――<i>Dīghanikāya</i>のコム文字による写本を中心として――

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  • Tracing Back Manuscript Lineages Through Variant Readings: Focused on Khom Script Manuscripts of the <i>Dīghanikāya</i>
  • Tracing Back Manuscript Lineages Through Variant Readings : Focused on Khom Script Manuscripts of the Dighanikaya

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抄録

<p>Dhammachai Tipitaka Projectでは,Dīghanikāyaの新校訂版を作成するために,シンハラ文字,ビルマ文字,コム文字,そしてタム文字という4つの写本伝承から,延べ45本の写本が,主要な資料として厳選された.このテキストを編集する過程において,十分な数の異読が収集されていくと,パーリ聖典の写本伝承に関する新しい理解を提案することが可能になりつつある.概して言うと,パーリ聖典は,シンハラと東南アジアという2つの主要な系統を通じて私たちに伝わっているよう思われる.後者は,さらにビルマ文字,コム文字,そしてタム文字の写本系統に分けられる.</p><p>本論文では,コム文字の写本系統に焦点を当てることによって,少なくともラッタナコーシン期以前とラッタナコーシン期(1782年以降)という2つの分岐系統が存在することが判明した.前者はまれな写本にのみ現存するが,後者は,タイにおけるパーリ聖典の標準版となるSyāmaraṭṭha版の基礎であると考えられる.</p><p>歴史を振り返れば,アユタヤ王国が1767年に戦争で完全に破壊された時には,パーリ聖典を含む膨大な数のコム文字写本が失われたようである.そのことから,パーリ聖典のコム伝承はシンハラやビルマの伝承からの助けを得ながら,自分の伝承を回復せざるを得なかったという指摘がある.つまり,コム伝承では両伝承からの混交(contamination)という問題があることを意味する.</p><p>しかし,ダムロン王子の記録及び本論文で取り扱うコム文字写本に見出される異読を検証した結果,アユタヤ期以降のパーリ聖典のコム伝承は,シンハラやビルマ伝承との著しい混交を示していない.逆に,ラッタナコーシン期のコム文字写本のいくつかの読みは,コム伝承が独自のものであり,シンハラとビルマの両伝承から距離を置くことが確認された.</p>

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