無縁墓地の系譜
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著者
書誌事項
- タイトル
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無縁墓地の系譜
- 著者名
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土居, 浩
- 著者別名
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ドイ, ヒロシ
- 学位授与大学
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総合研究大学院大学
- 取得学位
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博士 (学術)
- 学位授与番号
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甲第360号
- 学位授与年月日
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1999-03-24
注記・抄録
博士論文
資料形態 : テキストデータ プレーンテキスト
コレクション : 国立国会図書館デジタルコレクション > デジタル化資料 > 博士論文
この学位論文「無縁墓地の系譜」は、無縁墓地を<墓地の無縁化/無縁者の墓地>という二つの視座から捉え、それぞれの系譜を辿る作業を試みたものである。 ここでいう「無縁墓地」とは、 く墓地の無縁化>という現象をまずは念頭においている。<有縁/無縁>の区別はあくまで相対的なものであり、その程度は死者への記憶の多寡による。かつては香花がそなえられていたであろう墓地も、参詣人がいつしか途絶え、墓石もかだむき、ついには建築資材として再利用される。死者への記憶が限りなく希薄化した<無縁>の墓石は、石垣となり敷石となって風景そのものを支えているのである。しかし、そもそも徴を残さなかった死者については、どのように考えればよいのか。<無縁>の墓石が支えるこの調和した風景に亀裂を入れるモノ・身元不明者の屍体を処理する設備としての無縁墓地、すなわち<無縁者の墓地>にこそ眼を凝らさなければならない。ここに、<墓地の無縁化/無縁者の墓地>という二つの視座からする無縁墓地への接近が要請されることになる。 題目を「無縁仏」ではなく「無縁墓地」としたのは、なるべく「無縁仏」をその具体的な側面から検討したいがためである。「民間信仰」や「民俗宗教」といわれる領域への、空間論的・地理学的視点からする接近法を試みたわけである。 また「無縁仏」を考察の対象とした場合、あれもこれも「無縁仏」に包括されてしまう危険性が懸念される。つまり対象が拡散されてしまう危険性である。また一方で、「無縁仏」は「無縁墓地」にのみ出現するわけではない、という民俗的伝承的事実からすれば、「無縁墓地」のみに考察の対象を厳密に限定すると、かえって「無縁仏」をごくごく倭小化する危険性が懸念される。このふたつを回避するために、「無縁墓地」に制定された空間にこだわり考察する[本論文第二章]一方で、「無縁」を冠する霊魂については、それらが具体的な場所とかかわる場合に限り考察する[本論文第三章・第四章]必要が生じるのである。 「歴史」ではなく「系譜」としたのは、ここでの興味が「無縁墓地」の初見から現在までの流れを整理するものではないことによる。そうではなくて、「現在の事実」である眼前に広がる無縁墓地の風景について、それを成立させるさまざまな諸前提を考察することにこそ、ここでの興味関心はある。たとえばその無縁墓地が具体的には本来祭化対象であったと思われる石塔の集積体ならば、それはまず墓地への石塔建立の風習が一般化しなければならない。そして次にその石塔の放置される契機が発生しなくてはならない。そして最後にその放置された石塔が供養の対象として発見される契機が発生しなくてはならない。それぞれの契機において、さまざまな可能性が考えれる。たとえば石塔の放置される契機ひとつとっても、それを祭肥主体の消滅とみるか、祭肥期間の終了とみるかで、その放置された石塔への意味づけは大きく異なる。このようなさまざまな可能性を、ある限られた方向性へと収束させる物言いがある。その物言いとはたとえば法律の物言いであり、宗教の物言いであり、そして学問の物言いである。大きく、世間の物言い、といってもよい。そのような世間の物言いが自明でなかった場所から -- たとえば<江戸>から -- 問い直す方法が択ばれる[本論文第五章] その場所を踏まえて眺め直すならば、その限られた方向性の単一性が浮き彫りにされるであろう[本論文第六章]。 第一章 「無縁仏の話: 『先祖の話』を中心に」では、現在における「無縁仏」の位置づけには<祖霊からの疎外>と<御霊の末裔>とする見解があるが、その両者の違いをそれぞれ柳田国男『先祖の話』と折口信夫「民族史観における他界観念」の読解を通して検討した。『先祖の話』の読解を通して、習俗における無縁仏への批判として、柳田の無縁仏論が為されたのをみた。 第二章 「無縁墓地の民俗地理論: 元禄十二年京都町触がら」では、第一章でみた柳田民俗学においてほぼ等閑視された、家と全く無関係の死者について、その具体的な処理場であるく無縁者の墓地>について考察した。行き倒れの屍体処理場として制定された近世京都における「無縁墓地」が、その後の歴史的展開において、大火の焼死者の処理場・心中者の死体処理場・刑場としての機能を担ったことをみた。 第三章「「五三昧」「七墓」の位相: 近世京都の総称される葬墓地について」では、第二章でみた「無縁墓地」および火葬場などを含めた「五三昧」「七墓」などと総称される葬墓地が、近世京都においてどのような意味空間であったかを考察した。従来論じられた「五三昧」が、火葬場の現地比定であることを指摘し、新しい視点として「五三昧」として総称された際に「巡る」供養の場であることを考察した。 第四章「<集める>供養の視座二回向院をめぐって」では、第三章でみた「巡る」供養に対して<集める>供養の具体的様相として、「無縁寺」回向院について考察した。回向院が、民俗学また民衆宗教史において論じられている位相を検討した。その上で、回向院を「死者の統合管理」の側面から読み説く必要性について論じた。 第五章「<墓地の無縁化>の近世: 石化する葬墓地と死者の記憶」では、第四章でみた「無縁寺」回向院の基盤である<江戸>における、 <墓地の無縁化>の様相を検討した。<江戸>における葬墓地への言及が、すてに<石化する葬墓地>を前提としており、その上で<墓地の無縁化>に対しては幕府によるその放置が懸念されつつも、実際にはむしろ<墓地の無縁化>が当然であり、それに対処するものは非主流派と目されていたことをみた。また<墓地の無縁化>に対して、必ずしも家の断絶を読み込んでいないことをみた。 第六章「<墓地の無縁化>の昭和期: 掃苔道・霊園行政・柳田民俗学」では、第五章でみた<墓地の無縁化>の多様な解釈のありようが、昭和期においては法的にもまた「国民精神」の上からも懸念される様相を検討した。<遺体・墳墓・墓地>三位一体の墓地観は当局側のイデオロギーに留まらず、むしろ具体的な政策には関与しない民間の掃苔家により強調されるのをみた。そのような死者への記憶を前提とする中で、柳田の葬墓地論がその射程に死者の忘却を含めている点を指摘し、その同時代的特異性をみた。 なお、第六章でみた柳田の葬墓地論は、死者の忘却を忘却した時代として<石化する葬墓地>の時代を認識し、かって死者の忘却を当然としていた時代の様相を再構成するが、その再構成作業については第一章で検討した。各章それぞれが相互に密接に関連しつつ、全体としては円環構造をなすようになっている。 ここで検討した「無縁墓地」にまつわる霊魂は、言葉を換えれば、「われわれのようでない」モノたちである。この論文の目論見は、そのようなモノたちの空間的な刻印のされようを辿ることで、いかに「われわれ」の霊的な側面が構成されたかを炙り出すことであった。その射程は「われわれ日本」を問う日本研究として新たな地平を切り開くはずである。
総研大甲第360号
目次
- 目次
- 序
- 題目について
- 〈墓地の無縁化〉と〈無縁者の墓地〉
- 無縁仏研究の展開
- 本論文の構成
- 第一章 無縁仏の話‥『先祖の話』を中心に
- はじめに
- 『先祖の話』の課題
- 先祖を祭ること
- 盆に迎える霊の分化
- 差別されるみたま
- 孤独な祖霊の前提条件
- 霊の個人化と埋葬法の変化‥近代戦の死者
- 「民族史観における他界観念」
- 無縁仏の位相
- 第二章 無縁墓地の民俗地理論‥元禄十二年京都町触から
- はじめに
- 近世京都における無縁墓地の制定
- 大火の焼死体
- 心中者の屍体処理
- 刑場と屍体
- おわりに‥反芻される記憶
- 付論‥なぜ「洛外」なのか
- 第三章 「五三昧」「七墓」の位相‥近世京都の総称される葬墓地について
- 問題の所在
- 「五三昧」への興味関心
- 「五三昧」の位相
- 近世京都の葬墓地、あるいは五か七か
- 「五三味」「七墓」起源譚
- 火葬場と弘法大師
- 葬墓地を巡る‥近世大坂の場合
- 葬墓地を巡る‥祐慶の場合
- 葬墓地を巡る‥西阿弥の場合
- 葬墓地を巡る‥養阿の場合
- 「巡る」行為と霊魂の行方
- 都市の周縁と周縁の霊魂
- おわりに
- 第四章 〈集める〉供養の視座‥回向院をめぐって
- 問題の所在
- 近世都市民衆と回向院‥民俗学と歴史学のあいだ
- 「義塚」としての回向院
- 「無縁塚」としての回向院
- 義塚・漏沢園の思想
- 「無祀鬼神」の祭祀
- 今後の課題
- 第五章 〈墓地の無縁化〉の近世‥石化する葬墓地と死者の記憶
- 問題の所在
- 「墓磨」の怪異
- 「奇成癖」としての掃苔
- 「長死」する石塔への対処
- 寺院境内墓地・化と〈石化する葬墓地〉
- 蕃山=如見の論争
- 地上設備は「石塔」か
- 〈墓地の無縁化〉からする想起
- おわりに
- 第六章 〈墓地の無縁化〉の昭和期‥掃苔道・霊園行政・柳田民俗学
- 問題の所在
- 「忘却」の記憶
- 「忘却」の困惑
- 「忘却」の嘆き
- 「忘却」の忘却
- おわりに
- 引用参照文献