津軽・斜陽の家 : 太宰治を生んだ「地主貴族」の光芒
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津軽・斜陽の家 : 太宰治を生んだ「地主貴族」の光芒
祥伝社, 2000.6
- タイトル別名
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津軽斜陽の家 : 太宰治を生んだ地主貴族の光芒
- タイトル読み
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ツガル・シャヨウ ノ イエ : ダザイ オサム オ ウンダ 「ジヌシ キゾク」 ノ コウボウ
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内容説明・目次
内容説明
太宰治こと津島修治が生まれた家は、いま「斜陽館」として親しまれ、ファンが、あるいは観光客が後を絶たない。だがこの敷地面積六百五十坪、総部屋数十九の豪邸は、修治の父祖たちが貧しい農民を踏み台にして築いたものだった。古着商から身を起こし、金貸しを営む津島家は、凶作に泣き貧困に喘ぐ農民から、借金の担保である田畑を収奪することで急成長した成り上がりの「地主貴族」である。けれども修治は「私は、無智の、貧農の子孫である」と、出自を韜晦するように書きつけている。それはなぜか—。栄華を誇った津島家は、戦後、農地改革によって没落、豪邸も手放す羽目になる。その「斜陽」と軌を一にするように、修治は玉川上水に身を投げる。果たして、太宰治は、生家に何を見ていたのか。辺境の人々の、雪に埋もれたような生の歴史を、おなじ津軽に生まれた著者が丹念に掘り起こす第一級のルポルタージュ。
目次
- 序章 兄弟
- 1章 地主
- 2章 棟梁
- 3章 鉄道
- 4 飢渇
- 5章 借子
- 終章 斜陽
「BOOKデータベース」 より