映像という神秘と快楽 : 「世界」と触れ合うためのレッスン
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書誌事項
映像という神秘と快楽 : 「世界」と触れ合うためのレッスン
以文社, 2000.12
- タイトル別名
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映像という神秘と快楽 : 世界と触れ合うためのレッスン
- タイトル読み
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エイゾウ トイウ シンピ ト カイラク : セカイ ト フレアウ タメノ レッスン
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注記
「Internet photo magazine」の連載「映像のオントロギー」 (1996年8月-2000年12月) を加筆修正したもの
内容説明・目次
内容説明
映像を「見る」という人間中心主義から離れて、映像に「触れる」ことからみえてくる狂気や神秘、快楽などの多彩な世界。
目次
- 第1部 写真という神秘と狂気(ベルグソン、あるいは写真としての現実;バルト、あるいは触覚的メディアとしての写真;バザン、あるいは痕跡としての写真;「人影」、あるいは写真としての原爆 ほか)
- 第2部 カメラという残酷と愛情(顔写真の政治学—「酒鬼薔薇聖斗」問題をめぐって;意味記憶とエピソード記憶—『記憶が失われたとき』;ドキュメンタリー映画における単独性;生命なき世界としての視覚的失認症 ほか)
- 第3部 映画という反復の快楽(機械的反復の魅惑としての『どですかでん』;フロイト、あるいは映画カメラとしての人間的視線;快感原則の彼岸としてのリュミエール映画;アルコール先生、あるいはチャップリンの機械恐怖症 ほか)
「BOOKデータベース」 より