吉野・熊野信仰の研究
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吉野・熊野信仰の研究
(山岳宗教史研究叢書, 4)
名著出版, 2000.11
オンデマンド版
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吉野熊野信仰の研究
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ヨシノ クマノ シンコウ ノ ケンキュウ
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印刷・製本: デジタルパブリッシングサービス
吉野・熊野略年表: p436-439
Description and Table of Contents
Description
吉野・熊野の修験道は近世には衰えたが、これは南北朝時代以降、地方修験の山岳信仰の独立運動があったためとおもわれる。日本九峰にかぞえられる大峯以外の山々の独立性はとくに顕著で、その地方独特の信仰と入峰と配札や祈祷がおこなわれていた。ただ山伏たちが先達職の資格をえるためには、大峯修行によって官位、袈裟、寺格をとる必要があった。これが吉野・熊野の古代以来の権威であり、修験道のメッカといわれる所以である。いうまでもなく、吉野と熊野は七世紀までにまったく別々に山岳宗教が発生した。これが大峯修行路の開通で連繋が成立し、「大峯修験道」になったのは十世紀初頭のことである。それも十二世紀までは熊野がヘゲモニーをにぎり、伊勢皇太神宮との同躰説をうちだすことによって、院政政権をパトロンとすることに成功した。吉野は藤原京、平城京、平安京にちかいという地の利があったが、熊野神道のような理論をもたず、南都諸宗と天台・真言両宗から出た山岳修行者の混在する山であった。また熊野別当のような権力者をもたなかったので、政治的にも経済的にも、団結した組織的山伏集団にならなかった。しかし山伏の実践と儀礼には熱心だったらしく、大峯山上ヶ嶽の行場が全国修験行場の手本になった。したがって中世に入れば、熊野を圧倒して、修験道の王座にすわることになった。以上のようにその発祥も信仰も、地形もことなる二つの修験集団を、同日に論ずることはできないが、本巻では、この両者をあわせ論ずるものである。
Table of Contents
- 総説 吉野・熊野修験道の成立と展開
- 第1篇 吉野修験道の成立
- 第2篇 熊野山岳信仰と熊野修験
- 第3篇 熊野三山と中世熊野の経済
- 第4篇 熊野修験道と民間信仰
- 史料篇(吉野関係文書;熊野関係文書;史料目録;吉野・熊野略年表;吉野・熊野関係地図)
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