冷戦期のハンガリー外交 : ソ連・ユーゴスラヴィア間での自律性の模索
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書誌事項
冷戦期のハンガリー外交 : ソ連・ユーゴスラヴィア間での自律性の模索
彩流社, 2004.7
- タイトル別名
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冷戦期のハンガリー外交 : ソ連ユーゴスラヴィア間での自律性の模索
- タイトル読み
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レイセンキ ノ ハンガリー ガイコウ : ソレン ユーゴスラヴィアカン デノ ジリツセイ ノ モサク
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注記
博士論文 (関西学院大学, 2004年) の全文
ハンガリー・ユーゴスラヴィア関係年表: 巻末p13-16
参考文献: 巻末p17-24
内容説明・目次
内容説明
1940年代末以降、ハンガリーはソ連に追随して、ユーゴスラヴィアへの敵視政策を取ってきた。ソ連外交の路線転換により、ハンガリーはユーゴスラヴィア政策の大幅な見直しを迫られた。国際環境の変化によって政権内部に広がった動揺は、対外政策の路線にとどまらず国内情勢にも反映された。56年10月のハンガリー事件勃発の国際的背景を考えるうえで、ユーゴスラヴィアの動向を無視することはできない。さらに、軍事介入の後も、ハンガリーはソ連・ユーゴスラヴィア対立の狭間で難しい選択を迫られた。本書では、55年5月のソ連・ユーゴスラヴィアの和解から、ハンガリー事件当時の首相ナジの裁判が行われた58年6月までのハンガリーの対外政策について論じる。筆者の問題意識は、たんなる冷戦期のハンガリー外交の特質を探ることだけではない。大国の強い影響下に置かれた小国がいかに自国の利益を擁護したのかは、時代や地域を超えた対外政策研究における重要な課題である。
目次
- 序論 ハンガリー外交とソ連・ユーゴスラヴィア関係(一九五五‐一九五八)
- 第1章 ラーコシ失脚
- 第2章 ハンガリー事件
- 第3章 ナジ拉致事件
- 第4章 ナジ裁判
- 結論 カーダール時代のハンガリー外交—連続性と変化
「BOOKデータベース」 より