地の果てに挑む : マナスル・南極・北極
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書誌事項
地の果てに挑む : マナスル・南極・北極
東京新聞出版局, 2005.6
- タイトル別名
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地の果てに挑む : マナスル南極北極
- タイトル読み
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チ ノ ハテ ニ イドム : マナスル ナンキョク ホッキョク
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注記
東京新聞・中日新聞 の夕刊に連載 (2004年9月1日-2005年1月28日) したものをまとめたもの
内容説明・目次
内容説明
東京・品川の「船の科学館」を訪れると、鮮やかなオレンジ色の船が目に入ります。往年の南極観測船「宗谷」(二、七三四総トン)です。「宗谷」は、ソ連通商代表部の発注で建造された三隻の耐氷貨物船のうちの一隻で、昭和十三(一九三八)年六月に完成しました。しかしソ連には引き渡されず日本海軍の特務艦となり、戦後は海上保安庁の灯台補給船に生まれ変わりました。そして昭和三十一年から三十七年まで、六回にわたる南極観測に参加しています。私は「宗谷」より二十年早く、東京で生まれました。「宗谷」完成時は旧制松本高校の生徒で、北アルプスを歩き回っていました。この山好きが後の南極観測参加につながるとは、もちろん夢想だにしませんでした。昭和三十一年十一月八日、第一次南極観測隊員として乗り組んだ「宗谷」は、小雨に煙る東京港を出航しました。このとき私は三十八歳。以来観測隊長を四回、越冬隊長を三回務めるなど極地一筋に生きてきました。
目次
- 第1章 「極地人生」いざ序幕(中学時代から「山」に魅せられて;「ああ信州よ」—旧制松高時代;海軍生活;終戦、そして、サラリーマンとなる)
- 第2章 ヒマラヤ・マナスルへ(マナスル登山前史;マナスル先発隊、飛び立つ;登頂への決意—第一次遠征隊;第二次遠征隊とサマ事件)
- 第3章 南極へ1(国際社会への復帰;第一次観測隊—昭和基地建設;第二・三次観測隊—越冬断念と基地再開;南極探検の先駆者—田瀬矗;極点に魅せられた南極野郎たち;第五次観測隊と基地閉鎖)
- 第4章 南極へ2(観測再開と砕氷船「ふじ」;第九次観測隊長兼越冬隊長;念願の極点調査旅行;極点到達)
- 第5章 その後の南極観測とヒマラヤへの回帰(第十五次観測隊、砕氷艦「しらせ」;南極飛行、僻地に生きる日本人;南極の原点ヒマラヤへ)
「BOOKデータベース」 より