サブカルチャー文学論
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サブカルチャー文学論
(朝日文庫, [お49-2])
朝日新聞社, 2007.2
- タイトル読み
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サブカルチャー ブンガクロン
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内容説明・目次
内容説明
江藤淳が引いた「サブカルチャー/文学」の境界線。その批評精神を独自に受け継ぎ、“三島由紀夫とディズニーランド”など独自の切り口から思考する、サブカルチャーのあり得るべき可能性。文学史の見えにくい現在の文学に、明らかな系譜と判断の基準を、そしてサブカルチャーの倫理を提示する画期的論考。
目次
- 江藤淳と「サブカルチュア」としての戦後
- 村上春樹にとっての「日本」と「日本語」
- まんがはいかにして文学であろうとし、文学はいかにしてまんがたり得なかったか
- 村上春樹はなぜ「謎本」を誘発するのか
- 吉本ばななと記号的な日本語による小説の可能性
- 幻冬舎文学論(あるいは天に唾する小説のあったはずの可能性)
- 山田詠美とライナスの毛布
- 「物語」と「私」の齟齬を「物語」るということ
- 庄司薫はデレク・ハートフィールドなのか
- キャラクター小説の起源、起源のキャラクター小説
- 神戸震災文学論
- 三島由紀夫とディズニーランド
- 『太陽の季節』は何故「サブカルチュア」文学でないのか
- 石原慎太郎と「見るなの禁止」
- 仮構と倫理—大江健三郎と三人の自死者について
- 補論 「ツルリとしたもの」と妻の崩壊
「BOOKデータベース」 より