スポーツする文学 : 1920-30年代の文化詩学
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書誌事項
スポーツする文学 : 1920-30年代の文化詩学
青弓社, 2009.6
- タイトル別名
-
スポーツする文学 : 1920-30年代の文化詩学
- タイトル読み
-
スポーツ スル ブンガク : 1920-30ネンダイ ノ ブンカ シガク
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注記
「少年倶楽部」1915-45野球関係資料リスト(松村良編): p158-160
「アサヒ・スポーツ」の小説欄(1936-42)(波潟剛編): p194-199
スポーツ文学年表1914-40: p328-332
収録内容
- スケートリンクの沃度丁幾 : 山口誓子『凍港』の連作俳句について : 人工施設/体臭/モダニズム / 青木亮人
- 時を忘れる愉楽 : 疑似ゴルフに人々が抱いた夢想 : 都市/スピード/中産階級 / 天野知幸
- 「肉体」におびえるとき : モダニズム前夜のスポーツ小説として『友情』を読む : 卓球/精神修養主義/遊戯性 / 西山康一
- モダン・スポーツ批評 : アドルノ・神原泰・中井正一 / 西村将洋
- 声の複製技術時代 : 「スポーツ空間」と複合メディア状況 : ラジオ・アナウンサー/オーディエンス/野球 / 日比嘉高
- ゴムボールを手にした子供たち : 「少年倶楽部」に見る野球 : メディア/少年野球/立身出世 / 松村良
- テニス文芸のレトリック : 田中純と月刊「テニスフアン」 : テニス/メディア/スター・プレーヤー / 日高佳紀
- 「スポーツ小説」の盛衰 : 雑誌「アサヒ・スポーツ」の場合 / 波潟剛
- 変奏される「身体」 : 女子スポーツへのまなざし : スタイル/ジェンダー/陸上競技 / 笹尾佳代
- 水際のモダン : 身体と欲望の劇場へ : 水泳/コラージュ/視線 / 杉田智美
- プロレタリア文学とスポーツ / 宮薗美佳
- 「わたし」と「わたしたち」の狭間 : 「走ることを語ること」の意味 : 駅伝・マラソン/共同体/語り / 西川貴子
- スポーツしない文学者 : 祭典の熱狂から抜け落ちる「オリンポスの果実」 : スポーツ・イベント/逸脱/ボート / 疋田雅昭
- 死に至るスポーツを語る : 一九三〇年代山岳雑誌のなかの「文学」とその周辺 / 熊谷昭宏
内容説明・目次
内容説明
大正から昭和初期、モダニズムと大衆文化の時代—。新聞や雑誌、ラジオ、レコードなどのメディアを介して、文学とスポーツはそれぞれの最前線で交錯した。レトリックと身体が衝突し、神話とアスリートが握手をかわす“文学とスポーツのアリーナ”を物語や表象などから多面的に分析する。現代に続くスポーツをめぐる文化の配置図のルーツは、ここにこそある。
目次
- スケートリンクの沃度丁幾—山口誓子『凍港』の連作俳句について
- 時を忘れる愉楽—疑似ゴルフに人々が抱いた夢想
- “肉体”におびえるとき—モダニズム前夜のスポーツ小説として『友情』を読む
- 声の複製技術時代—“スポーツ空間”と複合メディア状況
- ゴムボールを手にした子供たち—「少年倶楽部」に見る野球
- テニス文芸のレトリック—田中純と月刊「テニスファン」
- 変奏される“身体”—女子スポーツへのまなざし
- 水際のモダン—身体と欲望の劇場へ
- 「わたし」と「わたしたち」の狭間—「走ることを語ること」の意味
- スポーツしない文学者—祭典の熱狂から抜け落ちる「オリンポスの果実」
「BOOKデータベース」 より