上甲米太郎 : 植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師
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書誌事項
上甲米太郎 : 植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師
大月書店, 2010.4
- タイトル別名
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上甲米太郎 : 植民地朝鮮の子どもたちと生きた教師
- タイトル読み
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ジョウコウ ヨネタロウ : ショクミンチ・チョウセン ノ コドモ タチ ト イキタ キョウシ
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注記
その他の著者: 李俊植, 辻弘範, 樋口雄一
上甲米太郎の肖像あり
年譜: p184-190
内容説明・目次
内容説明
1902年愛媛に生まれ、17歳で日本植民地下の朝鮮へ渡り、20歳で公立学校教師となった上甲米太郎。朝鮮人の子どもたちを無邪気に愛するところから、しだいに自分自身と社会、日本と朝鮮の関係について深く考えはじめる。そして、同僚や教え子たちに呼びかけ、教育運動雑誌『新興教育』の読書会をつくろうとしていた1930年12月、上甲が校長兼訓導を務める朝鮮農村の学校で授業中に治安維持法遺反容疑で逮捕。西大門刑務所を2年後に出所したのち、特高のすすめで北海道釧路の太平洋炭鉱で朝鮮人労働者の労務係となる。その後、朝鮮人労務者たちとともに九州大牟田の三井三池炭鉱に送られ、そこで敗戦を迎える…その85年の生涯を、上甲の長女の回想、日韓の歴史研究者による考察、逮捕の直前まで交わされていた手紙と日記、写真で綴る。
目次
- 父を語る(生い立ち;大洲時代キリスト教入信の頃 ほか)
- 在朝日本人教師上甲米太郎の反帝国主義教育労働運動(教育者の道;キリスト教信者からマルクス主義者へ ほか)
- 在朝日本人の日常生活—上甲米太郎日記を読む(上甲米太郎日記との出会い;上甲米太郎について ほか)
- 上甲米太郎の問いかけるもの(植民地支配を告発する上甲;キリスト教と人を愛すること ほか)
「BOOKデータベース」 より