意味不明でありがたいのか : お経は日本語で
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書誌事項
意味不明でありがたいのか : お経は日本語で
(祥伝社新書, 221)
祥伝社, 2010.11
- タイトル読み
-
イミ フメイ デ アリガタイ ノカ : オキョウ ワ ニホンゴ デ
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注記
参考文献: p183-184
内容説明・目次
内容説明
「教会で聖書は日本語で読まれているのに、なぜお寺のお経は漢訳の音読なのか?わけのわからないお経を聞かされて、正座の足が痛いだけの葬式は、自然な姿なのだろうか?」そう疑問を感じた著者は、古刹の僧侶である自分の使命として、お経の現代日本語訳に取り組んできました。お経は、読んでわかり、聞いてうなずけてこそ、死者の魂を慰め、残された人の心を安らかにさせてくれます。現代日本語に訳され、それが葬式の場で読まれて、はじめて釈迦が、仏教の先人たちが、何を伝えようとしたのかがわかるのです。本書は、新しい葬式の形を提案するとともに、仏教に親しむために何が大切かを教えてくれます。代表的なお経の現代日本語訳つき。
目次
- 第1章 なぜ、日本語でお経なのか(9歳で坊さんになれる僧侶の世界—自分史をふりかえる;お説教に対して疑問が湧いた ほか)
- 第2章 日本語でお経を読むという試み(正信偈や、お経の意訳に取り組む;音読と朗読—これからの課題)
- 第3章 理想のお葬式を改めて考える(日本の仏教と宗派;仏教徒の共通項は「三帰依文」 ほか)
- 第4章 現代日本語で読むお経(伽陀;表白 ほか)
「BOOKデータベース」 より