江戸開府 : 慶長8年(1603)〜元和2年(1616)
著者
書誌事項
江戸開府 : 慶長8年(1603)〜元和2年(1616)
(現代語訳徳川実紀, . 家康公伝||イエヤス コウ デン ; 2)
吉川弘文館, 2011.3
- タイトル別名
-
江戸開府 : 慶長8年 1603〜元和2年 1616
江戸開府 : 慶長8年1603元和2年1616
- タイトル読み
-
エド カイフ : ケイチョウ 8ネン(1603)〜ゲンナ 2ネン(1616)
大学図書館所蔵 全103件
  青森
  岩手
  宮城
  秋田
  山形
  福島
  茨城
  栃木
  群馬
  埼玉
  千葉
  東京
  神奈川
  新潟
  富山
  石川
  福井
  山梨
  長野
  岐阜
  静岡
  愛知
  三重
  滋賀
  京都
  大阪
  兵庫
  奈良
  和歌山
  鳥取
  島根
  岡山
  広島
  山口
  徳島
  香川
  愛媛
  高知
  福岡
  佐賀
  長崎
  熊本
  大分
  宮崎
  鹿児島
  沖縄
  韓国
  中国
  タイ
  イギリス
  ドイツ
  スイス
  フランス
  ベルギー
  オランダ
  スウェーデン
  ノルウェー
  アメリカ
この図書・雑誌をさがす
注記
原文は新訂増補国史大系に収められる『徳川実紀』の本文を使用
その他の編者: 佐藤宏之, 小宮山敏和, 野口朋隆
用語一覧: p159-327
参考文献あり
内容説明・目次
内容説明
関ヶ原の決戦を制した家康は、朝廷より将軍宣下を受け、征夷大将軍の座に就いた。多くの大名らを従えた参内は、天下人家康の権勢を強烈に印象づけた。江戸に幕府を開くが、三年ほどで将軍職を子の秀忠に譲り、徳川の世が代々続くことを示す。徳川・豊臣のいわゆる二重公儀体制は、徐々にその綻びを露呈し、ついに豊臣家を討つことを決意する。
目次
- 家康公伝 巻五(家康への将軍宣下;将軍宣下の先例 ほか)
- 家康公伝 巻六(小笠原広朝が死去し、子の権之丞継ぐ;成田重長、死去する ほか)
- 家康公伝 巻七(鎌倉鶴岡八幡宮上宮、造替により遷座する;家康、淀川過書船支配の朱印状を与える ほか)
- 家康公伝 巻八(右大将殿、新年の御祝い;足利学校の僧寒松、貞観政要の訓訳を献上する ほか)
- 家康公伝 巻九(家康、二条城より伏見へ還る;佐和山城を彦根へ移す ほか)
- 家康公伝 巻十(年頭御礼;家康・秀忠の上洛にさいし令状が出される ほか)
「BOOKデータベース」 より