丸山眞男と廣松渉 : 思想史における「事的世界観」の展開

書誌事項

丸山眞男と廣松渉 : 思想史における「事的世界観」の展開

米村健司著

御茶の水書房, 2011.12

タイトル別名

丸山真男と広松渉 : 思想史における事的世界観の展開

タイトル読み

マルヤマ マサオ ト ヒロマツ ワタル : シソウシ ニオケル コトテキ セカイカン ノ テンカイ

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内容説明・目次

内容説明

丸山眞男の政治思想史と廣松渉の哲学は「現代の人間世界における人間性の運命とは」を「問う」たのであった。今、だからこそ惰性となった現実主義を「醒めた目」で捉える必要がある。つまり、丸山と廣松の両者のように「“鉄のように堅い殻”」の歴史内部で退動する「弁証法的緊張」を把握しなくてはならない。二人が生涯を賭けた思想史と哲学の探求は、人間の歴史的現実に対する私たち自身の課題なのである。

目次

  • 第1部(函数態的概念による哲学と思想史の交叉;「権力“として”の貨幣」への鋭敏さと「“ほんもの”という理想」の陥穽;「翻訳=ダイアローグ」と「内なる声=モノローグ」;「清明心=水」という単色性と「交叉配列=模倣的創作」という色彩性;「偽善=役柄=フィクション」と「『和』という共同体的心情」;「心情の純粋性=清明心/明浄心」と函数的思考による認識と権力;「所有する〈もの〉としての権力観」と「テクスト〈として〉の共同主観性」;「制度化する精神性/精神化する制度性」という「相互嵌入的/力動的場」)
  • 第2部(演奏空間における「思想史/哲学」から“それにも拘らず(dennoch)”という自由の場へ;「間主体対象活動=協働=演奏」と群衆化する「流砂“として”の個人」;物象化された境界線と「永続革命=『過程の哲学』としてのデモクラシー」;「函数態“として”の内部/函数態“として”の外部」・「実体的無窮動“として”の擬似本質論的構図」・「函数態的概念という未完結性」;「無数の決断的行為“として”の多彩色」・「星座(Constellation)としての思想史」・「モンタージュ=波打ちぎわの砂の表情」;{「語り=騙り」〈として〉の「親和機能」}と「音響〈として〉の思想史=再創造的作品」;「永続革命〈として〉の日本の精神革命」と「クリオの顔」;「アンチノミー〈として〉の思想史」と境界線上のプルーラリズム)

「BOOKデータベース」 より

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