忠誠日本一 : 二百八十年間主君を支え続けた会津山ノ内家の家臣たち
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忠誠日本一 : 二百八十年間主君を支え続けた会津山ノ内家の家臣たち
歴史春秋出版, 2009.3
- タイトル読み
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チュウセイ ニホンイチ : ニヒャクハチジュウネンカン シュクン オ ササエツズケタ アイズ ヤマノウチケ ノ カシン タチ
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注記
参考文献: p325-326
内容説明・目次
内容説明
中世から江戸時代にかけて伊北郷、金山谷と呼ばれた会津南西部と越後筋に、土佐の一領具足にも比肩される千人を超す地侍がいた。彼等は鎌倉時代に平泉攻めで手柄を立て、源頼朝から会津に知行をもらってきた横田山ノ内家譜代の臣たちだが、伊達政宗の侵略を受け、豊臣秀吉の奥州仕置によって所領を失う。江戸時代には百姓に身を落としながらも誇りは高く、保科正之に掛け合って旧主の子孫を会津藩に仕官させる。以後幕末まで二百八十年、山ノ内家「什の掟」のもとに結束、たぐいまれな忠誠連判状を出し続ける。戊辰戦争には数百人が決起して越後、会津の各地に転戦。その手柄が認められて百人を超す農民が会津藩士に取り立てられるという異例の抜擢を受けた…。その経過を古文書にたどりながら、「南山御蔵入領に武士はいなかった」とする定説を覆し、会津の歴史を塗り替えた歴史ドキュメント。
目次
- 第1章 忠誠この世に比類なし
- 第2章 山ノ内家のルーツ
- 第3章 版図を広げる伊達政宗
- 第4章 南会津戦記
- 第5章 忠誠日本一への傾斜
- 第6章 他邦に見られぬ奇特な忠誠
- 第7章 山ノ内家傍系の人々
- 第8章 決起転戦の終章
「BOOKデータベース」 より