映画は父を殺すためにある : 通過儀礼という見方
著者
書誌事項
映画は父を殺すためにある : 通過儀礼という見方
(ちくま文庫, [し-32-2])
筑摩書房, 2012.5
- タイトル別名
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ローマで王女が知ったこと : 映画が描く通過儀礼
- タイトル読み
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エイガ ワ チチ オ コロス タメ ニ アル : ツウカ ギレイ ト イウ ミカタ
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注記
「ローマで王女が知ったこと--映画が描く通過儀礼」(1995年刊)の改題,大幅に加筆訂正
内容説明・目次
内容説明
映画には見方がある。“通過儀礼”という宗教学の概念で映画を分析することで、隠されたメッセージを読み取ることができる。日本とアメリカの青春映画の比較、宮崎映画の批判、アメリカ映画が繰り返し描く父と息子との関係、黒沢映画と小津映画の新しい見方、寅さんと漱石の意外な共通点を明らかにする。映画は、人生の意味を解釈する枠組みを示してくれる。
目次
- 予告編
- 1 『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方
- 2 同じ鉄橋は二度渡れない—『スタンド・バイ・ミー』と『櫻の園』
- 3 『魔女の宅急便』のジジはなぜことばを失ったままなのか?
- 4 アメリカ映画は父殺しを描く
- 5 黒澤映画と小津映画のもう一つの見方
- 6 寅さんが教えてくれる日本的通過儀礼
- 7 総集編
「BOOKデータベース」 より