風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときはただ悲しめばいい。
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書誌事項
風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときはただ悲しめばいい。
サンガ, 2013.9
- タイトル別名
-
風にゆられて鳴る風鈴のように悲しいときはただ悲しめばいい
- タイトル読み
-
カゼ ニ ユラレテ ナル フウリン ノ ヨウニ、 カナシイ トキ ワ タダ カナシメバ イイ。
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注記
「ありがとさん」(2009年刊)の改題,大幅に加筆し改訂
内容説明・目次
内容説明
ガンを患いながら、いまも毎日坐禅を欠かさず、多くの修行僧を率いて元気に活動する元曹洞宗管長の板橋興宗老師、87歳。禅僧としていたった境地、今思うこと。
目次
- 探求を巡る二つの話
- 禅僧を志す
- 坐に楽しむ
- 仏教における慈悲
- しあわせの自覚
- 「出合い」について
- 愚痴を口にしない
- 言葉をつながない
- いまを生きる
- いのちの仏道
- 震災のあとで
- 豊かさと反比例の精神性
- 足るを知る
- 女性と羞恥心について
- 素朴な信仰心とそうでないもの
- 底の抜けた境地
- 禅の起源を探る
- 日本の曖昧さの美意識
「BOOKデータベース」 より