能、世阿弥の「現在」
著者
書誌事項
能、世阿弥の「現在」
(角川文庫, 18531)
KADOKAWA, 2014.4
初版
- タイトル別名
-
能 : 現在の芸術のために
能世阿弥の現在
角川ソフィア文庫
- タイトル読み
-
ノウ ゼアミ ノ ゲンザイ
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注記
原著 (岩波現代文庫 2001年刊) の改題
ブックジャケットに「角川ソフィア文庫 F-105-1」の表示あり
「角川ソフィア文庫版へのあとがき」: p189-194
内容説明・目次
内容説明
世阿弥が大成した能とはどんな身体芸術だったのか。時間と空間のその時々において新たに変化生成する能は、世阿弥が創りあげた能表現とどう切り結ぶのだろうか。それを面や装束、橋懸かりの記号的な意味、序の舞の身体、ドラマを生み出す仕掛けとしての夢、さらには世阿弥の言葉「花」「離見の見」「幽玄」の真の意味などからとらえなおす。世阿弥が創造した演劇空間としての「現在」に肉薄し、能の見方に新たな地平を拓く。
目次
- 1 身体へ(面—仮面と身体;序の舞—テキストの空白;一調二機三声—「声」のメカニズム;装束—モードの体系;観世寿夫—私の記憶のなかで)
- 2 テキストへ(橋—都市への回路;夢—メタ・ドラマ論;物狂い—子供の領分;修羅—「死」のナレーション;「源氏物語」—解体論)
- 3 世阿弥へ(幽玄—中心としてのセクシャリティー;離見の見—ホリゾントの不在;男時・女時—「都市」の感覚能力;芸—人生論の書き方;花—メタファーの位階)
「BOOKデータベース」 より