父の名の否 (ノン)、あるいは資本の到来
著者
書誌事項
父の名の否 (ノン)、あるいは資本の到来
(中上健次論, 第2巻)
鳥影社, 2015.6
- タイトル別名
-
父の名の否あるいは資本の到来
父の名の否、あるいは資本の到来
- タイトル読み
-
チチ ノ ナ ノ ノン、アルイワ シホン ノ トウライ
大学図書館所蔵 全24件
  青森
  岩手
  宮城
  秋田
  山形
  福島
  茨城
  栃木
  群馬
  埼玉
  千葉
  東京
  神奈川
  新潟
  富山
  石川
  福井
  山梨
  長野
  岐阜
  静岡
  愛知
  三重
  滋賀
  京都
  大阪
  兵庫
  奈良
  和歌山
  鳥取
  島根
  岡山
  広島
  山口
  徳島
  香川
  愛媛
  高知
  福岡
  佐賀
  長崎
  熊本
  大分
  宮崎
  鹿児島
  沖縄
  韓国
  中国
  タイ
  イギリス
  ドイツ
  スイス
  フランス
  ベルギー
  オランダ
  スウェーデン
  ノルウェー
  アメリカ
この図書・雑誌をさがす
内容説明・目次
内容説明
1980年以降の日本社会の変質を「資本」による民主主義的社会の破壊と把握して、その社会的変化を描いた『地の果て—至上の時』を読み解く。ヘーゲルの『法哲学』をマルクスの『経済学批判要綱』から転換した論考、ヘーゲルの「アンティゴネ」解釈をラカンの解釈から転換した論考などを手がかりに「父の名」=「声なき死者」が欠如したポスト・モダン的世界として分析。
目次
- 序章 「批評」/「小説」/「近代社会」
- 第9章 「悲劇」について
- 第10章 マルクスから読むヘーゲル=中上健次
- 第11章 三人目の天皇—『万延元年のフットボール』論
- 第12章 「牢獄」を出た者/入った者
- 第13章 四人関係
- 第14章 「路地」の消滅・あるいは資本の到来
「BOOKデータベース」 より