なぜ会津は希代の雄藩になったか : 名家老・田中玄宰の挑戦
著者
書誌事項
なぜ会津は希代の雄藩になったか : 名家老・田中玄宰の挑戦
(PHP新書, 1057)
PHP研究所, 2016.8
- タイトル別名
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なぜ会津は希代の雄藩になったか : 名家老田中玄宰の挑戦
- タイトル読み
-
ナゼ アイズ ワ キダイ ノ ユウハン ニ ナッタカ : メイカロウ タナカ ハルナカ ノ チョウセン
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注記
年譜・田中玄宰とその時代: p323-330
参考文献: p331-334
内容説明・目次
内容説明
幕末会津の栄光は、彼なしにはありえなかった。相つぐ飢饉で、日本全国が危機に陥った江戸時代中期。藩政改革に、もっとも成功した藩こそ、名家老・田中玄宰がいた会津藩であった。会津松平家初代の名君・保科正之の政治手法を深く学び、57万両にも及んだ借金を産業振興と倹約でほぼ完済し、藩校日新館を建てて会津武士道を確立し、軍制改革で有事即応力を劇的に高め、さらにはロシア撃退のために樺太にまで出兵している。しかも、農民を収奪せず、暮らしやすい政治で人口を増やし、共存共栄の社会をつくった。緻密な分析で驚きの手腕を解明する感動の評伝。
目次
- 第1章 天明の大飢饉
- 第2章 人口動態から見た改革の必要性
- 第3章 政務についての建策
- 第4章 社倉制度の拡充と軍制改革
- 第5章 会津藩の教育改革
- 第6章 会津藩の司法改革と服色制度
- 第7章 地場産業の育成
- 第8章 財政再建をめざして
- 第9章 内憂外患を恐れず
- 第10章 田中という家系
「BOOKデータベース」 より