脳を通って私が生まれるとき
著者
書誌事項
脳を通って私が生まれるとき
日本評論社, 2016.12
- タイトル別名
-
脳を通って私が生まれるとき
- タイトル読み
-
ノウ オ トオッテ ワタシ ガ ウマレル トキ
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注記
雑誌『こころの科学』176-188号の連載に加筆修正したもの
文献: p183-186
内容説明・目次
内容説明
こころとは私たちの脳のことなのか。言い換えるなら、私たちは過不足なく脳なのか。こう問うと、若い同僚からすぐに「では、いったい脳以外のどこにこころがあるというのですか」と反論されてしまう。私が脳にいないなんて、脳科学がこれほど進歩した世の中でなんて非常識な、と。しかし、私らしさという性質を考えてみると、社会の中で私がどんな位置どりをしているか、これまで過去に私はどんな行動をしてきたかなど、さまざまな側面があり、脳はそれぞれの側面に対して異なった濃淡をもって関与をしていると考えられる。これをすべて脳の作用の物理的関数だけで解き明かせるのか。クラゲ、赤ん坊、ミラーニューロン、てんかん、ヤスパース…心脳問題に精神科医が挑む。
目次
- 私は脳の中にいるのか
- 動物機械・ゾウリムシの確率的知覚
- 細胞が連なり、神経が生まれ、しかし脳はまだない
- 空気人形からガンダムへ、そして仮想中枢へ—身体イメージの歴史的変遷
- 私という現象は命がそうであるように閉鎖系なのか—オートポイエーシス論を通して考える
- 再入力による仮想中枢の明滅と表象—こころの始まり
- マシンは私になれるのか
- ミラーニューロンが起こす動作は誰の意図か
- 閉じる言葉、開かれた言葉
- 死を超えてあるいはいくばくか残るかもしれない私のこと〔ほか〕
「BOOKデータベース」 より