正法眼蔵行仏威儀を味わう
著者
書誌事項
正法眼蔵行仏威儀を味わう
大法輪閣, 2017.2
- タイトル別名
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正法眼蔵行仏威儀を味わう
- タイトル読み
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ショウボウ ゲンゾウ ギョウブツ イイギ オ アジワウ
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注記
柏樹社1989年刊の再刊
内容説明・目次
内容説明
行仏とは、天地一杯のいのちの力を自らの力として生きること、そこに天地の威儀が現われる。「行仏威儀」の巻を単なる解釈でなく、自らの生きるいのちの言葉として読みとき、新たな息吹を感じさせる提唱録。
目次
- 正法眼蔵 行仏威儀 原文
- 仏法は口ではいえるものではない それなのに道元禅師はなぜ大部の正法眼蔵を書かれたか
- 正法眼蔵のご文章もよくよく案ずればひとえに興正一人がためなりけり
- 私の人生という一生そのものがじつは一〓(けい)の坐禅なのだ
- 地獄へ突き落とされたらどうするか?地獄にじっとつかり込んで身動きできぬと決定する
- われわれ間違えればこそ生まれてきたのだ その限り生きているということはすべて間違っている
- 色気と食気だけは分かる しかしあと分からない、とにかく子供を産んでおけという野蛮時代
- 来生は人間に生まれ変わるといわれた白犬が悩んでいる 土用に三度人間のクソにありつけるかどうか
- やる気も何も失せた最後のギリギリはどうだ?「どうでも勝手にしやがれ御いのち」で死んでいく
- 坐禅修行して悟ろう悟ろうとする求道の姿がじつはそういう形で物足りようとする思いでしかない
- 道元禅師が語られた「眼横鼻直」とは何か?いまの息は、いま息せねばならぬと悟られたのだ
- 仏さんは説法するばかりと思っている ところが仏が法を聴き、仏が修行し、仏が成仏するのだ
「BOOKデータベース」 より