社会はどこにあるか : 根源性の社会学
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社会はどこにあるか : 根源性の社会学
ミネルヴァ書房, 2017.5
- タイトル読み
-
シャカイ ワ ドコ ニ アルカ : コンゲンセイ ノ シャカイガク
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注記
参考文献: 巻末p11-21
内容説明・目次
内容説明
社会学の研究対象は社会である。だが、社会とはそこに「ある」ものとしてとらえることができない。社会はいったいどこに立ち現れ、社会学はどのようにはじまるのか—。本書は、根源的ともいえるこの難題と正面から向きあう、創意に満ちた知的探索。
目次
- 1 社会が姿をあらわすとき(社会を剥ぎ取られた地点—「無媒介性の夢」をめぐるノート;没頭を喪失した社会—「社会学」の位置をめぐって;社会という不条理/社会という無根拠)
- 2 社会学がはじまる場所(「社会の科学」と「社会の理想」—あるいは、ふたりのデュルケーム;距離のユートピア—ジンメルにおける悲劇と遊戯;亡命者たちの社会学—ラザースフェルドのアメリカ/アドルノのアメリカ)
- 3 いくつもの声が響き合う(もしも世界がみんな構築主義者だったら—構築主義社会における構築主義社会学;「スポーツする身体」と「教える/学ぶ身体」の交わるところ—スポーツと体罰をめぐるふたつの問題系;共同体の外に立つ—「日本の社会学理論」と「普遍」についての試論)
「BOOKデータベース」 より