ことばのとらえ方をめぐって
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書誌事項
ことばのとらえ方をめぐって
(近代日本言語史再考 / 安田敏朗著, 5)
三元社, 2018.1
- タイトル読み
-
コトバ ノ トラエカタ オ メグッテ
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内容説明・目次
内容説明
日本において「国語」はあって当然のようにみなされてきた。しかし、多言語社会日本を考える際には、こうした考え方を相対化し、より柔軟な多言語へのまなざしを見出していく必要がある。つまりは、「国語」からはみえないものへの視線をとりだすことが必要とされる。なにかを「とらえる」ということは、意志的なものであり、みたくないものはみない、みたいものだけをみる、ということだ。本書は、歴史的に「みえない」ものとされた、そして現在も日本社会で「みえない」ものとされていることばたちを念頭におき、「みる」側の構図をえがきだす。
目次
- 序章 「国語」からみえるもの/みえないもの
- 第1章 ことばをどのようにみようとしてきたのか—近代日本における「言語学」の誕生
- 第2章 「言文一致」がみえなくすること—作文・日記・自伝
- 第3章 虐殺とことば—関東大震災時朝鮮人虐殺と「一五円五〇銭」をめぐって
- 第4章 となりの朝鮮文字
- 第5章 朝鮮人の言語使用はどうみえたか—村上広之の議論を中心に
- 第6章 「ひとつのことば」への道からみえるもの—斎藤秀一編『文字と言語』をめぐって
- 第7章 「ことのはのくすし」は何をみていたのか—陸軍軍医監・下瀬謙太郎をめぐって
- 第8章 漢字廃止論の背景にみえるもの—敗戦直後の労働争議とからめて
- 第9章 スターリン言語学からみえるもの—民主主義科学者協議会編『言語問題と民族問題』をめぐって
- 終章 「やさしい日本語」がみおとしているもの
「BOOKデータベース」 より