今川・武田・北条三国同盟の姫君たち
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今川・武田・北条三国同盟の姫君たち
(集英社みらい文庫, ふ-1-18 . 戦国姫||センゴクヒメ)
集英社, 2018.10
- タイトル読み
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イマガワ タケダ ホウジョウ サンゴク ドウメイ ノ ヒメギミタチ
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注記
年表:p180〜181
内容説明・目次
内容説明
多くの武将が対立し、覇を競っていた戦国時代。駿河の今川、甲斐の武田、相模の北条は和平協定を結び、それぞれの娘たちを政略結婚させることで、同盟をより強固なものとすることになった。今川の春姫は武田に、武田の梅姫は北条に、北条の安姫は今川に嫁ぎ、それぞれ夫と仲睦まじく暮らす。しかし、今川義元が桶狭間で討たれたことで、同盟に綻びが生じて…。小学上級・中学から。
目次
- 嶺松院—海道一の弓取りと称えられた大大名・今川義元の長女(母の死—天文19年(1550年);甲斐の武田に嫁ぐ—天文21年(1552年);三国同盟成立—天文23年(1554年);第四次川中島の戦い—永禄4年(1561年);夫・義信の死—永禄10年(1567年))
- 黄梅院—甲斐の虎と呼ばれた名将・武田信玄の長女(相模の北条に嫁ぐ—天文23年(1554年);梅、母となる—弘治元年(1555年);小田原城籠城戦—永禄4年(1561年);同盟が破綻し、甲斐へ戻される—永禄11年(1678年))
- 早川殿—相模の獅子と謳われた猛将・北条氏康の長女(駿河の今川へ嫁ぐ—天文23年(1554年);桶狭間の戦い—永禄3年(1560年);駿甲同盟が破綻する—永禄10年(1567年);今川滅亡—永禄12年(1569年);夫・氏真が京で信長と会見する—天正3年(1575年))
「BOOKデータベース」 より