なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか : 日本と中韓「道徳格差」の核心
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なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか : 日本と中韓「道徳格差」の核心
(PHP新書, 1179)
PHP研究所, 2019.3
- タイトル別名
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なぜ論語は善なのに儒教は悪なのか : 日本と中韓道徳格差の核心
- タイトル読み
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ナゼ ロンゴ ワ ゼン ナノニ ジュキョウ ワ アク ナノカ : ニホン ト チュウカン ドウトク カクサ ノ カクシン
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内容説明・目次
内容説明
論語はすなわち儒教のことである—日本人の多くにとっての「常識」であろう。ところが、実はそうではない。子供のころ、祖父の摩訶不思議な「教え」から『論語』に接した著者は、のちに儒教の持つ残酷な側面を知り、強い葛藤を抱く。実際の孔子は「聖人」であったのか?なぜ『論語』は絶対に読むべきなのか?御用教学・儒教の成立と悪用される孔子、朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇など、中国思想史の分析を重ねた果てに著者がたどり着いた答えは、なんと「論語は儒教ではない」というものだった。曇りのない目で孔子の言葉に触れ、『論語』を人生に生かすための画期的な書。
目次
- 序章 私の『論語』体験と、私が見た「儒教の残酷さ」
- 第1章 定説や通念を覆す—孔子とは何者か、『論語』とは何か
- 第2章 御用教学・儒教の成立と悪用される孔子
- 第3章 朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇
- 第4章 朱子学を捨て、『論語』に「愛」を求めた日本
- 最終章 『論語』はこう読もう
「BOOKデータベース」 より