人類学者、台湾映画を観る : 魏徳聖三部作『海角七号』・『セデック・バレ』・『KANO』の考察

書誌事項

人類学者、台湾映画を観る : 魏徳聖三部作『海角七号』・『セデック・バレ』・『KANO』の考察

沼崎一郎著

(風響社ブックレット)

風響社, 2019.6

タイトル別名

人類学者台湾映画を観る : 魏徳聖三部作海角七号セデックバレKANOの考察

タイトル読み

ジンルイ ガクシャ、タイワン エイガ オ ミル : ウェイ ダーション サンブサク『カイカク ナナゴウ』・『セデック・バレ』・『KANO』ノ コウサツ

大学図書館所蔵 件 / 27

この図書・雑誌をさがす

注記

参照文献・参照メディア: p82-84

内容説明・目次

内容説明

植民地台湾と帝国日本。「戦後日本人男性」という立場から台湾を眺めている「私」—「人類学者」として「台湾研究」をしている「私」。台湾映画を通し自己分析する試み。

目次

  • 1 ポストインペリアルという視座(「帝国の末裔」であるということ;日本におけるポストコロニアリズム受容への疑問 ほか)
  • 2 『海角七号』を観る(七通のラブレター;インペリアルな視線 ほか)
  • 3 『セデック・バレ』を観る(遠くて異なる世界—インペリアルな視線の弱さ;日本的、あまりに日本的な!—強まるインペリアルな視線 ほか)
  • 4 『KANO』を観る(「台湾は日本の統治下にあった」という語り;帝国の祭典または束の間のパックス・ジャポニカ ほか)
  • 5 魏徳聖三部作が「この私」に「見せてくれた」もの(視線にまつわる感情の重み;多義的な日本、多元的な台湾、そして中国の影 ほか)

「BOOKデータベース」 より

関連文献: 1件中  1-1を表示

詳細情報

ページトップへ