教行信証はなぜ書かれたか
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教行信証はなぜ書かれたか
法藏館, 2020.11
- タイトル読み
-
キョウギョウ シンショウ ワ ナゼ カカレタカ
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注記
今、「愚鈍」としての自らを問う-。凡夫の救いを追求した親鸞聖人が「教行信証」を書かずにはおれなかった根底を、詳細に説いた熱意溢れる講習会の記録。質疑応答も収録する。
内容説明・目次
内容説明
今、「愚鈍」としての自らを問う。凡夫の救いを追求した親鸞聖人が『教行信証』を書かずにはおれなかった根底を、詳細に説いた熱意溢れる講習会の全記録。
目次
- 1 『教行信証』はなぜ書かれたか(教えに出遇った者の責任;なぜ「文類集」なのか;本願の世界から遠い存在 ほか)
- 2 仏教は諸仏の世界(浄土の教えとしての「一乗」;存在の大きさは出遇ったものの大きさ;不回向の行 ほか)
- 3 愚鈍の感覚(「愚鈍」として自らを問う;精神の傲慢;微笑みを失った信仰 ほか)
「BOOKデータベース」 より