玉蘂
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書誌事項
玉蘂
野宮定基 : 久世通夏 [ほか写], 元禄12 [1699]-宝永3 [1706] 奥書
- 承元3-4年
- 承元5, 建暦元年
- 建暦2年上
- 承久2年上
- 承久2年下
- 承久3, 安貞2, 寛喜元年
- 嘉禎元-3年
- 嘉禎4年(暦仁元)
文字資料(書写資料)
- タイトル別名
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光明峯寺禅閤道家公記
峯禅閤記
峯摂政記
峯入道摂政記
- タイトル読み
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ギョクズイ
大学図書館所蔵 件 / 全1件
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承元3-4年A00:60670014899819,
承元5, 建暦元年A00:60670014899827, 建暦2年上A00:60670014899835, 承久2年上A00:60670014899843, 承久2年下A00:60670014899850, 承久3, 安貞2, 寛喜元年A00:60670014899868, 嘉禎元-3年A00:60670014899876, 嘉禎4年(暦仁元)A00:60670014899884 -
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注記
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写本
書名及び巻冊次は表紙による
奥中の書名: 光明峯寺禅閤道家公記, 峯禅閤記, 峯摂政記, 峯入道摂政記
承元4年の原奥書に「右即位記一卷者光明峯寺禅閤自筆正記也以件本左令吾基春卿透以写之云々加挍正之 ... 永正七年夷則上浣 從一位(花押)」とあり
奥書に「右以或人夲自常州到来令書写之彼夲端書云此冊上下卷 ... 元禄第十二暦仲夏中旬 羽林左衞中郎将藤原定基丗一才」(承元3), 「右光明峯寺禅閤道家公承元二年三月五六月八月四年二三月九月十十一十二月記は借請或人之夲自常州邊来書写之加一挍了/于時元禄第十二端午節也 左中郎将藤原定基丗才」(承元4), 「右玉蘂建暦元年少弟左中将通清朝臣助筆僅加一挍原本文字不正後来得正夲可改之者也/元禄十三年九月十日 松堂閑士(花押)丗二才」(建暦元), 「右玉蘂峯禅閤記建暦二年自二月至九月一冊以或人夲自常州邊来命家僚令書写手自加挍合了/元禄十二年五月六日 左中郎将藤原定基丗一才」(建暦2年上), 「宝永二年十月一日書写畢/承久二春玉蘂以故常州牧權中納言光圀公夲謄写之于時俗務紛擾先請慈兄源亜相公所被写也今以彼夲手自馳禿筆 余識藤(花押)丗七才/同三年二月廿五日一挍了」(承久2年上), 「右峯摂政承久二年記命傭書謄冩之手自一挍了/元禄第十二嵗次著雍単閼蕤賓中旬 羽林軍左衞中郎将藤原定基丗一才」(承久2年下), 「嘉禎四年正月二月閏二月三月四月六月玉蘂先年假借故常州牧前中納言光圀夲無剋力速遂書写之功建暦元年建暦二年下承久二年上及此卷等先献慈兄亜相君写之今及数年申復彼夲謄写之 ... 宝永三年十二月念日 参議從三位行左近衞權中将藤原朝臣定基生年卅八才」(嘉禎4年)とあり
毎半葉11行注文双行
漢文体日記
拠徳川光圀本及び中院通躬鈔本謄写
朱筆書き入れあり
印記: 「定基」(野宮定基), 「野宮書印」
虫損あり (裏打ち補修あり)