新しいダビデと新しいモーセの待望 : イザヤ書の正典的解釈
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新しいダビデと新しいモーセの待望 : イザヤ書の正典的解釈
教文館, 2022.2
- タイトル読み
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アタラシイ ダビデ ト アタラシイ モーセ ノ タイボウ : イザヤショ ノ セイテンテキ カイシャク
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注記
文献表: p563-590
内容説明・目次
内容説明
教会によってイエス到来の告知と捉えられてきたイザヤ書。前半部の「王預言」と後半部の「僕預言」という二つの主題において、メシア(=キリスト)はどのように預言されているのか。聖書テクストの最終形態を重視するカノン(正典)的解釈の手法に基づき、終末におけるダビデ的王とモーセ的預言者への待望論からイザヤ書の包括的理解を探る比類なき研究。
目次
- 序 イザヤ書のカノン的解釈を目指して
- 第1章 カノン的解釈とB.S.チャイルズ(カノン的解釈に至るチャイルズの神学的思索;カノン的解釈とは何か—チャイルズの議論から ほか)
- 第2章 王の預言—新しいダビデへの希望(ヒゼキヤと、イザヤ書のカノン的形態において終末論的なダビデ的人物を指し示すものとしてのヒゼキヤの機能について;もう一つの王の預言—イザヤ書4章2‐6節 ほか)
- 第3章 主の僕—新しいモーセの待望(第二のモーセとしての主の僕の待望;イザヤ書の後半部における「僕」預言の展開について—イザヤ書40章1‐11節;61章1‐11節の考察 ほか)
- 第4章 ダビデ的人物とモーセ的人物の相互作用(タビデ的人物とモーセ的人物の相互作用;ダビデ的要素とモーセ的要素の相互作用を生み出した歴史的背景 ほか)
- 結論
「BOOKデータベース」 より