あらわれを哲学する : 存在から政治まで
著者
書誌事項
あらわれを哲学する : 存在から政治まで
晃洋書房, 2023.3
- タイトル読み
-
アラワレ オ テツガク スル : ソンザイ カラ セイジ マデ
大学図書館所蔵 全58件
  青森
  岩手
  宮城
  秋田
  山形
  福島
  茨城
  栃木
  群馬
  埼玉
  千葉
  東京
  神奈川
  新潟
  富山
  石川
  福井
  山梨
  長野
  岐阜
  静岡
  愛知
  三重
  滋賀
  京都
  大阪
  兵庫
  奈良
  和歌山
  鳥取
  島根
  岡山
  広島
  山口
  徳島
  香川
  愛媛
  高知
  福岡
  佐賀
  長崎
  熊本
  大分
  宮崎
  鹿児島
  沖縄
  韓国
  中国
  タイ
  イギリス
  ドイツ
  スイス
  フランス
  ベルギー
  オランダ
  スウェーデン
  ノルウェー
  アメリカ
この図書・雑誌をさがす
内容説明・目次
内容説明
世界は、その根本のところで、(なにかが・なにかに対して・なにかとしてあらわれる)というあり方をしているのではないか。これが私たちの直観である。そしてこの直観は、さらなる哲学的探究へと開かれていく。
目次
- 第1部 ある(存在と真理;存在と真理における「多と一」;無と持続―メルロ=ポンティによるベルクソン批判を巡って)
- 第2部 あらわれる(意識を意識する―「意識」概念への媒介論的アプローチ;体験の一回性について;像はどのようにあらわれるのか―フッサールの像意識論を解釈して擁護する;魔術とは何か―自然主義的アプローチ)
- 第3部 かんがえる(デカルトと合理主義の臨界;哲学は遅れて―メルロ=ポンティと構造の問い;認識と倫理―水俣から問われる哲学)
- 第4部 よくいきる(現れを迎え入れるという倫理;レヴィナスにおける悪と責任;私は「私」から出られるのか)
- 第5部 ともにある(喪失という撹乱―死別を中心に;不可視性と共同体の倫理―アウグスティヌス「説教」九九における聖書解釈から;自由と政治(ただ共にある)ことを護る)
「BOOKデータベース」 より