見ることに言葉はいるのか : ドイツ認識論史への試み
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見ることに言葉はいるのか : ドイツ認識論史への試み
弘前大学出版会, 2023.4
- タイトル読み
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ミル コト ニ コトバ ワ イル ノカ : ドイツ ニンシキロンシ エノ ココロミ
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注記
第2刷(2025.3)のp82に増刷(訂正)に関する付記あり
その他の編著者(*は編著者, 他は執筆のみ): *増山浩人, *梶尾悠史, *横地徳広, 佐藤香織, 千田芳樹, 馬場智一
収録内容
- 〈認識すること〉をめぐって
- 嶺岸佑亮
- ドイツ認識論と超越論的言語哲学
- 梶尾悠史
- 哲学するラテン語とドイツ語のあいだ
- 語り得ないものを語るということ
- 嶺岸佑亮
- バウムガルテンの存在論と世界論
- 増山浩人
- カントのカテゴリー論と理念論
- 増山浩人
- 美は人間を人間たらしめる形成手段である
- 嶺岸佑亮
- ドイツ語で思索する古代ギリシア哲学
- 自我と認識
- 嶺岸佑亮
- 〈イデアを観ること〉とはどのようなことか
- 嶺岸佑亮
- フッサールとプラトン
- 梶尾悠史
- 実践的推論において見ること
- 横地徳広
- ドイツ語で哲学するユダヤ人たち
- コーエンにおける無限判断とその射程
- 馬場智一
- ローゼンツヴァイクのコーエン論におけるハイデガー
- 佐藤香織
- 機能・シンボル化・人間学
- 千田芳樹
- ローゼンツヴァイクと聖書物語
- 佐藤香織
- ドイツ認識論で現象を救う
- フッサールとブレンターノ
- 梶尾悠史
- ハイデガー的カントの図式論=演繹論
- 横地徳広
- 沈黙と饒舌
- 千田芳樹
- ドイツ哲学で認識の身分を問う
- 横地徳広
内容説明・目次
内容説明
見るひとが言葉をもちい、語るひとが眼差す、それは当たり前のことだろうか…。ドイツ認識論史にわけいり、当たり前の所以を探る。
目次
- 序章 ドイツ認識論と超越論的言語哲学―一つの見取り図
- 第1部 哲学するラテン語とドイツ語のあいだ(語り得ないものを語るということ―マイスター・エックハルトにおける認識の問題;バウムガルテンの存在論と世界論―世界概念の基礎づけをめぐる思考(1);カントのカテゴリー論と理念論―世界概念の基礎づけをめぐる思考(2);美は人間を人間たらしめる形成手段である―シラーにおけるヒューマニズム、カント、ゲーテ)
- 第2部 ドイツ語で思索する古代ギリシア哲学(自我と認識―イエーナ期ヘーゲルをめぐって;“イデアを観ること”とはどのようなことか―プラトニズムの問題からみたヘーゲル;フッサールとプラトン―知識の起源としての臆見;実践的推論において見ること―『ニコマコス倫理学』のハイデガー的現象学)
- 第3部 ドイツ語で哲学するユダヤ人たち(コーエンにおける無限判断とその射程―序説;ローゼンツヴァイクのコーエン論におけるハイデガー―「入れ替えられた前線」を起点として;機能・シンボル化・人間学―カッシーラー哲学を読み解くための三つの観点;ローゼンツヴァイクと聖書物語―「本質認識」批判としての「語る思考」)
- 第4部 ドイツ認識論で現象を救う(フッサールとブレンターノ―志向・明証・反省;ハイデガー的カントの図式論=演繹論―或るヴィトゲンシュタインとの接点;沈黙と饒舌―ヴィトゲンシュタインとショーペンハウアー)
- 終章 ドイツ哲学で認識の身分を問う―本書をふりかえりつつ
「BOOKデータベース」 より
