自己否定する主体 : 一九三〇年代「日本」と「朝鮮」の思想的媒介

書誌事項

自己否定する主体 : 一九三〇年代「日本」と「朝鮮」の思想的媒介

郭旻錫著

(プリミエ・コレクション, 132)

京都大学学術出版会, 2024.3

タイトル別名

自己否定する主体 : 一九三〇年代日本と朝鮮の思想的媒介

タイトル読み

ジコ ヒテイ スル シュタイ : センキュウヒャクサンジュウネンダイ「ニホン」ト「チョウセン」ノ シソウテキ バイカイ

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注記

参考文献一覧: p317-324

索引: p325-326

収録内容

  • 「帝国日本の思想」を捉える視座
  • 田辺元と朴鍾鴻
  • 「自己疎外態」としての民族
  • 「自己否定」による民族の模索
  • 帝国の不安、植民地の現実
  • 「自己否定」としての「イロニー」、「イロニー」としての「日本」
  • 崔載瑞の批評における「個性滅却」の思想と皇道主義
  • 横光利一における「朝鮮」の意味と李箱の対決意識
  • 死を生きる主体の創出
  • 価値の零度
  • 結論

内容説明・目次

内容説明

朝鮮を含む帝国日本の思潮を統合的に描く。自己否定する主体という視点から、哲学・文芸批評・文学を読み解き、ポストコロニアリズムの理解からもれた日本・朝鮮の思想的関係を問う。

目次

  • 序論「帝国日本の思想」を捉える視座―「自己否定する主体」と「思想的媒介」について
  • 第1部 「帝国日本の哲学」における自己否定的な民族認識(田辺元と朴鍾鴻―「帝国日本の哲学」における「否定」の磁場;「自己疎外感」としての民族―田辺元「種の論理」の再検討;「自己否定」による民族の模索―朴鍾鴻「ウリ」の哲学と三木清)
  • 第2部 アイロニカルな批評の主体における自己否定性(帝国の不安、植民地の現実―一九三〇年代帝国日本における不安言説の越境について;「自己否定」としての「イロニー」、「イロニー」としての「日本」―保田與重郎における「朝鮮」と「日本」;崔載瑞の批評における「個性滅却」の思想と皇道主義)
  • 第3部 帝国日本のモダニズム文学における「自己否定する主体」(横光利一における「朝鮮」の意味と李箱の対決意識;死を生きる主体の創出―川端康成における「朝鮮」の意味と「「死」の存在論」;価値の零度―李箱における「東京」の意味について)
  • 結論

「BOOKデータベース」 より

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