自己否定する主体 : 一九三〇年代「日本」と「朝鮮」の思想的媒介
著者
書誌事項
自己否定する主体 : 一九三〇年代「日本」と「朝鮮」の思想的媒介
(プリミエ・コレクション, 132)
京都大学学術出版会, 2024.3
- タイトル別名
-
自己否定する主体 : 一九三〇年代日本と朝鮮の思想的媒介
- タイトル読み
-
ジコ ヒテイ スル シュタイ : センキュウヒャクサンジュウネンダイ「ニホン」ト「チョウセン」ノ シソウテキ バイカイ
大学図書館所蔵 全49件
  青森
  岩手
  宮城
  秋田
  山形
  福島
  茨城
  栃木
  群馬
  埼玉
  千葉
  東京
  神奈川
  新潟
  富山
  石川
  福井
  山梨
  長野
  岐阜
  静岡
  愛知
  三重
  滋賀
  京都
  大阪
  兵庫
  奈良
  和歌山
  鳥取
  島根
  岡山
  広島
  山口
  徳島
  香川
  愛媛
  高知
  福岡
  佐賀
  長崎
  熊本
  大分
  宮崎
  鹿児島
  沖縄
  韓国
  中国
  タイ
  イギリス
  ドイツ
  スイス
  フランス
  ベルギー
  オランダ
  スウェーデン
  ノルウェー
  アメリカ
この図書・雑誌をさがす
注記
博士学位請求論文 (京都大学, 2023年提出) を書籍化したもの
参考文献一覧: p317-324
索引: p325-326
収録内容
- 「帝国日本の思想」を捉える視座
- 田辺元と朴鍾鴻
- 「自己疎外態」としての民族
- 「自己否定」による民族の模索
- 帝国の不安、植民地の現実
- 「自己否定」としての「イロニー」、「イロニー」としての「日本」
- 崔載瑞の批評における「個性滅却」の思想と皇道主義
- 横光利一における「朝鮮」の意味と李箱の対決意識
- 死を生きる主体の創出
- 価値の零度
- 結論
内容説明・目次
内容説明
朝鮮を含む帝国日本の思潮を統合的に描く。自己否定する主体という視点から、哲学・文芸批評・文学を読み解き、ポストコロニアリズムの理解からもれた日本・朝鮮の思想的関係を問う。
目次
- 序論「帝国日本の思想」を捉える視座―「自己否定する主体」と「思想的媒介」について
- 第1部 「帝国日本の哲学」における自己否定的な民族認識(田辺元と朴鍾鴻―「帝国日本の哲学」における「否定」の磁場;「自己疎外感」としての民族―田辺元「種の論理」の再検討;「自己否定」による民族の模索―朴鍾鴻「ウリ」の哲学と三木清)
- 第2部 アイロニカルな批評の主体における自己否定性(帝国の不安、植民地の現実―一九三〇年代帝国日本における不安言説の越境について;「自己否定」としての「イロニー」、「イロニー」としての「日本」―保田與重郎における「朝鮮」と「日本」;崔載瑞の批評における「個性滅却」の思想と皇道主義)
- 第3部 帝国日本のモダニズム文学における「自己否定する主体」(横光利一における「朝鮮」の意味と李箱の対決意識;死を生きる主体の創出―川端康成における「朝鮮」の意味と「「死」の存在論」;価値の零度―李箱における「東京」の意味について)
- 結論
「BOOKデータベース」 より