「責任能力」をめぐる新・事件論 : 「かれら」はどのように裁かれてきたのか

書誌事項

「責任能力」をめぐる新・事件論 : 「かれら」はどのように裁かれてきたのか

佐藤幹夫著

言視舎, 2024.4

タイトル別名

責任能力をめぐる新事件論 : かれらはどのように裁かれてきたのか

新・事件論 : 「責任能力」をめぐる : 「かれら」はどのように裁かれてきたのか

タイトル読み

セキニン ノウリョク オ メグル シン ジケンロン : カレラ ワ ドノヨウニ サバカレテ キタ ノカ

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内容説明・目次

内容説明

あらためて「発達障害と事件」「少年の重大事件」を問う。「かれら」はなぜ支援からこぼれ、法を犯すところまで自らを追い込んでしまったのか。司法はどのように裁いてきたのか。「見えないこと」「ふれたくないこと」にされてきた「かれら」の事件をあらためて検証する。

目次

  • 第1章 新・事件論(1)―「かれら」はどのように裁かれてきたのか(「レッサーパンダ帽男」の罪と罰―二〇〇一年東京・浅草短大生殺害事件;刑罰か療育か、少年の裁判がはらんだジレンマ―二〇〇五年大阪・寝屋川、一七歳の小学校教師殺傷事件;知的障害と刑事裁判、その難しさはどこにあるのか―二〇〇八年千葉・東金幼女殺害事件;ある判決、噴出する批判 アスペルガー症候群と裁判員裁判―二〇一二年大阪・平野区実姉殺害事件から)
  • 第2章 新・少年事件論―「保護か厳罰か」の対立を超えて(「逆送少年」の刑事裁判について―二〇〇六年「寝屋川、奈良、板橋」、それぞれの判決から;少年たちの「犯罪予防」はどこまで可能か―二〇一四年夏、佐世保で何が起こったのか;佐世保の事件と『絶歌』を読む 少年の「更生」とはなにか―一九九七年神戸児童連続殺傷事件を振り返りながら)
  • 第3章 新・事件論(2)―「さまざまな責任能力論議」という視座(なぜ「責任能力論」だったのか―二〇〇一年大阪教育大学附属池田小学校事件の衝撃;「刑法三九条削除」論の向こうにあるもの―二〇〇四年埼玉・所沢事件;裁判で「責任能力」はどのように争われたのか―二〇一六年相模原・津久井やまゆり園事件)

「BOOKデータベース」 より

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