「在日」のはざまで
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「在日」のはざまで
立風書房, 1986.5
- タイトル読み
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ザイニチ ノ ハザマ デ
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「在日」のはざまで
1986
限定公開 -
「在日」のはざまで
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内容説明・目次
内容説明
「在日」を主動的に生きる強靭な思想を基底に、その実存のありようを明晰にとらえ、新世代に光を投ずる待望の金時鐘全エッセイ集!幻の名著『クレメンタインの歌』『さらされるものとさらすものと』未収録作品を併収。
目次
- クレメンタインの歌
- 私の出会った人々
- 日本語のおびえ—閉ざされた金嬉老の言葉を追って
- 揺らぐ燐光
- 開かれた手の年
- 歌い継ぐ歌のかなしさ—韓国歌曲の夕べに寄せて
- 隔てた思いが奏でる響き
- いまこそ精神の時—40周年の8・15に思う
- “ブーム”のかげに
- にび色の日射しの下で
- 自己復元への希求—わが内なる「朝鮮の苦悩」
- 夏へかけて
- 諧謔、この朝鮮の内なる笑い
- “醜”を生きる思想—金芝河の詩精神
- まぶしい祝福
- 金芝河の詩をささえているもの
- 「連帯」ということについて
- 朝鮮人の人間としての復元
- 欠落の埴輪—わが意識の中に埋もれてあるもの
- 骨片考
- 亡霊の抒情
- 二つの狂気
- しきたり、いぶかり、ありきたり
- くたばれ、好物!
- 政治と文学
- 南北朝鮮「融和」の中の断層—民衆不在の統一指向
- かさなる陰画—日本企業進出下の韓国の風景
- 私の座位からの背中あわせの独白—村松武司『朝鮮植民者』に寄せて
- ほの白いほら穴の風—『ある異常体験者の偏見』の所在
- さらされるものと、さらすものと—朝鮮語授業の1年半
- 朝鮮語と出会う人々
- なぜ“朝鮮語”か
- 「差別」の中の起点と視点
- 民族教育への一私見
- 本名をはばむもの—似て非なる関係に抗する言葉と教育の模索
- 在日を繋ぐ「生理言語」
- 「猪飼野」の暮れ
- 差別語について
- 「光州事態」の内と外
- “60億ドル”に絡むもの
- 展望する在日朝鮮人像—申京煥裁判が問いかけるもの
「BOOKデータベース」 より