スコセッシ・オン・スコセッシ : 私はキャメラの横で死ぬだろう
著者
書誌事項
スコセッシ・オン・スコセッシ : 私はキャメラの横で死ぬだろう
フィルムアート社, 1992.6
- タイトル別名
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Scorsese on Scorsese
Scorsese on Scorsese
- タイトル読み
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スコセッシ オン スコセッシ : ワタクシ ワ キャメラ ノ ヨコ デ シヌダロウ
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注記
原著の翻訳に『フィルム・コメント』誌 (1990年9・10月号) に掲載されたインタビューを加えたもの
フィルモグラフィ: p256-269
内容説明・目次
目次
- この監督はただものじゃない
- マーティン・スコセッシの運命
- 1 罪は教会ではなく街の中で贖うものだ(リトル・イタリーではタフガイと教会が力を持っていた;気づいたときには、通りに出てキャメラを回していた;撮影の最良の訓練所は、ロジャー・コーマンのところだ;映画そのものが「ビー・マイ・ベイビー」だ)
- 2 私は映画が好きだ、人生のすべてだ(自分を爆発させ、そして生き延びる男を描きたい;『ニューヨーク・ニューヨーク』は、即興に即興を重ねて撮影した;デ・ニーロはとてつもなくスケールの大きな俳優だ;とんでもないラストだ、とマイケル・パウエルは言った;憎悪するものに自らなりきること、それが生き残りの道だ)
- 3 私はキャメラの横で死ぬだろう(イエス・キリストは私たちと同じ人間の1人だ;宗教的探求に自分のすべてを賭ける人間にロマンを感じる;映画は撮る気はないか、とウディ・アレンが電話をかけてきた;『グッドフェローズ』の精神はドキャメンタリーだ)
「BOOKデータベース」 より