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柳橋 博之 法制史研究 58 (0), 1-46,en3, 2009
...<BR>本稿は、その過程を、カイロ写本、シャイバーニー(八〇五年没)『アスル』「賃約の書」を分析することによって推察する試みである。この写本の一部は、これまでに刊本になっている最終版『アスル』が成立する前の編纂段階を反映している点で、その編纂過程を知る上で有益な情報をもたらしてくれる。その分析の結果、つぎのような結論を得た。<BR>1.原『アスル』は、シャイバーニーの口述である。...
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磯貝 健一 東洋史研究 52 (3), 362-398, 1993-12-31
Since Shaibani Khan captured Samarqand in 1500, a full-scalerule of Shaibanid Dynasty over Ma wara' al-Nahr have been realized. However, it is not clear hitherto how Shaibanids dealt with Islamic …
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奥田, 敦, Okuda, Atsushi 国際大学中東研究所紀要 1991-03-01
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堀川 徹 史林 62 (6), 817-849, 1979-11-01
...本稿で取上げるアルクーク城は、トゥルキスタン地方の西端に位置する小城塞にすぎなかったが、シャイバーニーのトゥルキスタン征服に果した役割は大きく、史料中でマホメットにとってのメディナと対比される理由はそこに存在する。またアルクーク城の性格は、東西交渉路の中間地点としての商業的意義を重視することによっては捉えられず、遊牧勢力との関係を強調することによって初めて浮き彫りにすることができるのである。...