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検索結果 238 件

  • タウトにみるヴァナキユラーとしての竹皮編み

    前島 美江 アジア民族造形学会誌 18 (01), 56-63, 2022-08-27

    ...続いて、高崎の工芸運動と「タウトの竹編み」、「タウトの竹編み」の革新、高崎のバウハウスを目指す地域の工芸運動、日本の気候と「タウトの竹編み」の関係などの内容を追う。 本研究の課題は、来日後のタウトのアジアへの憧れと日本文化を理解することにより、「タウトの竹編み」を通じた哲学の深化を明らかにすることである。...

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  • ドイツ中部,チューリンゲンの森に産する古生代ペルム紀赤色層

    地学雑誌 130 (3), Cover03_01-Cover03_02, 2021-06-25

    ...</p><p> かつての東独西縁に位置するチューリンゲンの森(Thüringer Wald)は,ドイツ中央部の低い山地である.そのなかのイエーナ東方のCaaschwitz採石場に写真のZechstein層の好露頭がある.周辺には日本人にも馴染みの深い地名が散在する.例えば,アイゼナハはバッハ生誕地として,ワイマールはゲーテの長期居住地,バウハウス校の発祥地,また憲法で知られる.ほかにはイエーナは多くの...

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  • ナウム・ガボのKinetic Constructionとキネティックアート

    三井, 直樹 共立女子短期大学生活科学科紀要 64 3-11, 2021-02

    ...当時の科学技術や理論の影響を受けたキネティックアートのコンセプトは,構成主義からバウハウスへ,そして戦後の美術運動の史実を俯瞰するうえでも意義深い。彫刻家である兄,アントニー・ペヴスナーとともに確立していった構成主義の理論と造形表現について,20世紀以降のアート&デザインにおける意義を考察する。...

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  • 「現代プロダクトデザインの役割とは?」

    松坂, 洋三, Matsuzaka, Yozo 大分県立芸術文化短期大学研究紀要 57 1-20, 2020-03-13

    ...日本のデザイン教育は山脇巌氏や水谷武彦氏らが留学したドイツ「バウハウス」のインターナショナルなデザイン教育をルーツとしており、現代では、従来のインダストリアルデザインの定義だけでは学生への説明が不十分と感じていた。かつてどこにも属さないようなカテゴリーの価値を持った製品をプロダクトデザイナーが創作しているからだ。...

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  • Bauhaus and Heating, Ventilation Technology, and Building Sciense

    Tanaka Tatsuaki 空気調和・衛生工学会大会 学術講演論文集 2020.3 (0), 1-4, 2020

    <p>100 years after the Bauhaus was founded, the preoccupation with this avant-garde school continues unabated. The ideas and maxims developed at the Bauhaus continue to stimulate thought in a wide …

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  • バウハウスと建築設備

    田中 辰明 空気調和・衛生工学会大会 学術講演論文集 2020.3 (0), 73-76, 2020

    ...<p>バウハウスは、1919年にドイツのヴァイマールに設立された写真、工芸、舞台などを含む美術と建築の総合的な芸術学校であった。2019年は創立100年にあたり、博物館ができるなど様々な行事が催された。純粋の芸術学校の様に思われるが、デッサウに移転してからは暖房、換気、衛生設備の講義も行われた。校長グロピウスは「芸術と技術の統合」を主張し、暖房用放熱器を本来絵画がかけられるような場所に設置した。...

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  • ヴァイマル・バウハウスと庭園芸術

    後藤 文子 美学 71 (2), 49-60, 2020

    Am 8. Juli 1924 brachte der Nachwuchsarchitekt Heinz Wichmann (1898-1962) beim Weimarer Bauhaus die Abhandlung „Neue Ausbildungsmöglichkeiten im Gartenkunstberuf verbunden mit …

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  • 日本におけるバウハウス発想法教育学の成立とその周辺

    阿部, 守 福岡教育大学紀要. 第五分冊, 芸術・保健体育・家政科編 (67) 27-36, 2018-03-09

    ...戦後改革的芸術系大学にみるバウハウスの教育導入の受容と発想法教育学の成立とその波及効果を検証する。主に構成教育の主導的役割を果たした,東京教育大学構成教室と工芸教室の授業内容等を検証し,その今日の基礎造形・構成教育に与えた影響を追究する。...

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  • バウハウス再考に基づく今日的なデザイン教育の実践について

    本村 健太 美術教育学研究 50 (1), 353-360, 2018

    ...<p>2019年のバウハウス創立100周年を目前にして,バウハウス研究において筆者がこれまで継続してきたバウハウス神話を「脱神話化」するための歴史的考察と,バウハウスの「諸芸術の統合」及び「芸術と技術の融合」という芸術的理念を今日に引き継ぐ事例研究として取り組んだ筆者の映像メディア表現の実践を再確認するとともに,現代にまで有効なバウハウスの理念を再考し,バウハウス研究を基礎とする今後の実践的展開を示...

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  • パウル・クレーの造形思考における構造力学の記述に関する考察

    岩崎 敏之 日本デザイン学会研究発表大会概要集 65 (0), 66-67, 2018

    ...Paul Kleeがバウハウス、デュッセルドルフ美術学校に勤務していた際の論文や講義の草稿をまとめた『造形思考』には、彼の造形に対する考え方が数多く記載されている。本稿では、『造形思考』記載されている力学的なスケッチを切り出し、その意味することについて考察し、筆者が提示している体・相・用ー建築構造デザインモデル上での位置づけについて考察する。...

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  • シュトゥットガルト教育実験工房のカリキュラムについて

    針貝 綾 美術教育学研究 48 (1), 337-344, 2016

    シュトゥットガルト教育実験工房(ヴュルテンベルク王立美術工芸学校教育実験工房)は,1901年に美術工芸学校に併設された美術工芸のための教育施設である。本研究では教育実験工房の教育システムやカリキュラム,教育方法を調査し,以下の点を明らかにした。教育実験工房は1902年に家具工房,金属工房,その他美術工芸の3専攻を設置し,1905年に陶器工房を開設した。教育実験工房では修了試験は行われなかったが,…

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  • アニメーションディレクター寺田和男

    本村 健太 岩手大学教育学部研究年報 74 51-67, 2015-03-15

    ...筆者の第一の研究課題は、世界遺産にも登録されているドイツの芸術学校「バウハウス」についてである。本稿ではこのバウハウスについては述べないが、その研究を通して学んだ未来への視座と実験的精神は、筆者自身の教育研究の姿勢として大事にしているものである。 筆者はこれまで、バウハウスの芸術に関わる理念の今日的な展開を試みることを念頭に置き、あえて「映像メディア表現」に関わる実践研究を中心に行ってきた。...

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  • 北園克衛「記号説」論

    大川内 夏樹 日本近代文学 93 (0), 16-31, 2015

    <p>北園克衛の初期の代表作である「記号説」には、映画のモンタージュを思わせる簡潔な言葉の羅列、あるいは語句や言い回しの反復といった特徴的な表現が見られる。これらの表現は、北園が強い関心を寄せていたモホリ=ナギの「大都市のダイナミズム」の受容を通して生み出されたものだと考えられる。また「記号説」と「大都市のダイナミズム」との間には、作品中に都市的な建築物のイメージを用いているという共通点もある。…

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  • 構成主義と構成教育

    谷本 尚子 日本デザイン学会研究発表大会概要集 61 (0), 159-, 2014

    ...バウハウスを経由した日本の構成教育にロシア構成主義の影響は無かったとされているが、ロシアの近代的な工作教育は、明治から日本に導入されていた。この論文では、工作教育と造形教育の両方の視点から、ヴフテマス・ヴフテインでの基礎教育における構成的思考について考察した。結論では、経験の組織化という概念において、ヴフテマス、バウハウス、そして日本の川喜田の教育方針に共通項があることを明らかにした。...

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  • 構成を基盤としたデザインの基礎教育の形成

    高崎 葉子, 山本 早里 日本デザイン学会研究発表大会概要集 61 (0), 16-, 2014

    ...「構成」とは、ドイツのデザイン学校バウハウスでの基礎教育を参考に、1930年代に日本に導入された造形教育であり、筆者は時代により移り変わる「構成」の役割を明確にすることを研究テーマとしている。本研究では、日本への導入時期にあたる1930年代の4年間に出版された雑誌『構成教育』を調査対象とし、当時の「構成」の捉え方を明らかにすることを目的とした。...

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  • マックス・ビルの「グーテ・フォルム」における造形理論―カントの「付属美」との比較において

    世利 幸代 日本デザイン学会研究発表大会概要集 57 (0), C13-C13, 2010

    ...「グーテ・フォルム」とは、バウハウスの理念「芸術と技術の統合」を継承したビルにおける形態の理念である。ビルは、その著作『フォルム』において「グーテ・フォルム」を、機能を充たすと同時に美しい形態であると述べる。これは一見するとカントの「付属美」と同じ概念である。しかしカントの「付属美」における美と機能は、分裂したまま併存している状態であり、それらの間には何の関連性もない。...

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  • 1930年代の万博における写真壁画とフォトモンタージュ

    山本 佐恵 日本デザイン学会研究発表大会概要集 56 (0), E13-E13, 2009

    ...同じく図案家の亀倉は、バウハウスやヘルベルト・バイヤーなどのフォトモンタージュ技法から多くの影響を受け、それらの技法を自身の写真壁画制作に取り入れた。本発表では、これらの写真壁画の制作の背景と、構成内容の特徴について報告する。...

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  • 3次元空間の2次元表現―20世紀初頭の軸測図表現における奥行き概念

    加藤 道夫 図学研究 42 (Supplement2), 21-24, 2008

    ...本研究では, 20世紀の初頭, 特に1920年代に顕著な軸測図の利用について, 奥行き概念の観点から検討を行った.その結果をまとめると以下のようになる. 1) 軸測図における「奥行き」を線遠近法の拡張として再定義することにより, 「軸測図」における〈奥行きの不在〉を導出した. 2) 20世紀初頭, 特に1920年代における軸測図の普及の様態を, バウハウス, デ・スティル, ル・コルビュジエらの使用...

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  • デジタルコンポジションシステムの概念デザイン

    川西 翔樹, 木下 武志, 青山 英樹, 氏家 良樹, 松岡 由幸 日本デザイン学会研究発表大会概要集 55 (0), 46-46, 2008

    ...コンポジションとは,円や矩形等の複数の幾何形態を要素とし,その配置や組み合わせによってデザインを行う手法であり,バウハウスで初めてデザイン教育として取り入れられた.コンポジションは,造形における視的技法を体験的に学べる手法であり,デザイン教育として有効であるといわれている.しかし既存のコンポジション手法においては,準備や実施に手間と時間がかかるという課題を抱えており,現在では実施されなくなりつつある...

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  • コンポジション教育における評価項目に関する研究

    木下 武志, 河野 康宜 日本デザイン学会研究発表大会概要集 55 (0), 45-45, 2008

    ...これまでに発表者らは,基礎デザイン教育から各専門デザイン分野での教育(応用デザイン教育)を連係させる造形教育として「コンポジション」に注目した.バウハウスでの教育カリキュラムに示される「KOMPOSITIONLEHRE」は教育現場での試行錯誤の段階で中断されていると考えられる.この「コンポジション」の教育方法の成立させることについて検討を行なってきた.今回は,これまでの我々の先行研究の中で設定した課題制作...

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  • 1940-50年代シカゴにおける芸術学校改革とバウハウス教育学の影響について

    鈴木 幹雄 美術教育学:美術科教育学会誌 29 (0), 287-298, 2008

    ...バウハウス教授陣のアメリカへの亡命に伴ってシカゴへ設立されたNew Bauhausに関して,我々は,『50年シカゴにおけるバウハウスの後継学校50.Jahre new bauhaus. Bauhausnachfolge in Chicago』とロサンゼルス郡美術館の共同研究『亡命者達と移民達-ヒットラーからのヨーロッパ芸術家達の逃走Exiles+emigres....

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  • ニューヨーク万国博覧会における山脇巌の展示設計と写真壁画

    山本 佐恵 日本デザイン学会研究発表大会概要集 54 (0), B01-B01, 2007

    ...そしてそのテーマに基づき展示設計を担当したのが、バウハウスで学んだ建築家の山脇巌であった。<BR> またニューヨーク万博に出品された写真壁画は、山脇の他にも原弘、山名文夫といった戦後の日本のデザイン界を牽引するデザイナーたちが構成に関わっており、それらに利用された写真は、土門拳、溝口宗博、杉山吉良など日本の写真史上重要な写真家たちが撮影したものだった。...

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  • バウハウスラー、大野玉枝研究(2)

    常見 美紀子 日本デザイン学会研究発表大会概要集 54 (0), A11-A11, 2007

    ...大野玉枝は、バウハウスに留学した4人目の日本人であったが、その詳細は今まで明らかでなかった。  前回の発表では日展を中心とする活動と作品を検証した。  今回はその後の遺族へのヒヤリングによって明らかになった光風会の活動と作品を中心に検証したい。  戦前に大野は1937年に実在工芸美術会の展覧会に服飾の作品を出品した。この会は高村豊周を中心として設立され、「用即美」を追究しようとした。...

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  • モード史におけるモダニズム : モダン・デザイン・ムーヴメントからのアプローチ

    豊田, かおり 文化女子大学紀要. 服装学・造形学研究 37 147-160, 2006-01-31

    ...モダン・ムーヴメントは,バウハウスやデ・スティル,更には「国際様式」へ移行し,装飾を排除し,機能美を追及した合理主義へと向かう。また1925年のアール・デコ展やキュビズム等の影響により直線的・幾何学的フォルムが絵画から日用品に至るまで浸透する。モード史におけるモダニズムは1906年にポール・ポワレが女性をコルセットから解放したことに始まる,と一般に言われる。...

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  • 水谷武彦のバウハウス・デッサウに於ける留学時代について : バウハウスと水谷武彦に関する研究 その1

    ルイック ペトラ 日本建築学会計画系論文集 71 (599), 157-163, 2006

    ...本論文は、水谷武彦のドイツ及びバウハウス留学を水谷著のバウハウスに関する論文及び本来のバウハウスのカリキュラムを基に再現する読みである。水谷は、バウハウスに初めて留学した日本人である。そのため、日本において最初に詳細なバウハウス紹介を行った人であり、日本のバウハウス受容における重要人物であると考えられる。それにも拘わらず、現在までに、水谷に関する研究は非常に少ない。...

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  • 韓国の高等教育におけるデザイン教育に関する研究

    HAN HeeKyung 日本デザイン学会研究発表大会概要集 53 (0), 111-111, 2006

    ...また、1920年代末からはバウハウス教育が導入され、新しいデザイン教育へと変わろうとしていた時期でもあった。 このように1950年代の韓国のデザイン教育は1930年代の日本の図案教育をそのまま踏襲した装飾性を中心とした図案教育であった。また、1950年代のソウル大学校応用美術科のカリキュラムにでもみられるように韓国の伝統的なモチーフ(例えば、十長生など)を用いた平面構成が主であった。 ...

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  • 大野玉枝研究

    常見 美紀子 日本デザイン学会研究発表大会概要集 53 (0), 80-80, 2006

    ...バウハウスの日本人留学生は、水谷武彦、山脇巌・山脇道子夫妻、そして大野玉枝の4人であった。前者3人は既にバウハウス関連研究では知られた人物であった。しかしながら、四人目のバウハウス入学者、大野玉枝は、ベルリンに移った私立バウハウスの学生名簿に明記されているにもかかわらず、情報はほんとんどなく、その後の消息は不明であった。...

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  • バウハウスの図的表現

    加藤 道夫 図学研究 39 (Supplement2), 11-16, 2005

    ...1923年の国立ワイマールバウハウス展のために編纂された『国立バウハウス・ヴァイマール1919-1923』には, グロピウスの記した「国立バウハウスの理念と形成」という文書が掲載されている.そこには, 消失点遠近法を回避し, 新たな空間表現が開発されたと記されている.ここでいう新たな空間表現とは軸測図である.本研究では, バウハウスにおける軸測図導入の意味をデ・スティル等との比較を交えながら明らかにした...

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  • シュタイナーの色彩論に関する思想史的考察

    柴山 英樹 近代教育フォーラム 14 (0), 193-209, 2005

    ...本稿は、ルドルフ・シュタイナーの色彩論について、19世紀末から20世紀にかけて展開された科学的色彩論やクレー、カンディンスキーなどのバウハウスの教師たちの色彩論などの同時代のコンテクストから読み直すことによって、シュタイナーの色彩論の意味内実をより明確に捉えられることを示したものである。...

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  • 桑沢デザイン研究所の構成教育

    常見 美紀子 デザイン学研究 51 (4), 9-18, 2004

    ...勝見はハーバート・リードとミューズ教育という幅広い造形概念の上に、バウハウスを起源とするデザイン理論を展開した。...

    DOI 参考文献31件

  • ベルリンにおけるヨハネス・イッテンと日本人との交流

    金子 宜正 デザイン学研究 50 (6), 1-10, 2004

    ...バウハウスを退職した後、ヨハネス・イッテンは、独自の造形美術学校イッテン・シューレ(1926-1934)をベルリンに創設した。同校の教師陣には、日本人画家・水越松南、竹久夢二がおり、小原図芳は水越の授業を見学した。また、自由学園からの二人の留学生(山室光子・笹川[当時旧姓今井]和子)が同校で学んだ。...

    DOI 参考文献26件

  • パウル・クレーの絵画「アド・マルギネム」と武満徹

    石野 眞 鳥取短期大学研究紀要 (48) 1-8, 2003-12-01

    ...作曲家・武満徹は20歳の若き日に美術雑誌『アトリエ』に「パウル・クレエの音楽」と題してパウル・クレー絵画の「アド・マルギネム」を取り上げて執筆した.武満徹の創作活動初期に流れるパウル・クレーへの傾倒,作曲における絵画性の曙光について考察し,武満徹のパウル・クレーの絵画「アド・マルギネム」の記述について研究する.クレーのバウハウスにおける教育ノートとクレーの作品についての継続研究である....

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  • デッサウ・バウハウス校舎の設計過程

    冨田 英夫, 杉本 俊多 日本建築学会計画系論文集 67 (551), 313-320, 2002

    The purpose of this study is to consider the formal construction of German Modem architecture. Especially in this paper, the design process of Dessau Bauhaus by Walter Gropius are reconstructed from …

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  • バウハウスと同時代の作曲家たち

    小野 英志 山陽学園短期大学紀要 32 (0), 1-9, 2001

    ...Musikerziehung』をも加えようと企画している.一方で、バウハウスの周辺には、ヨーゼフ・マティアス・ハウアーのようにヨハネス・イッテンと協働すべく直接バウハウスの門を叩いた音楽家もいれば、バウハウス週間の演奏会に参加した音楽家も多い。...

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  • ハンネス・マイアーのバウハウス改革

    天貝 義教 日本デザイン学会研究発表大会概要集 46 (0), 188-189, 1999

    From 1928 to 1930,Hannes Meyer directed the Bauhaus as successor to W.Gropius and reorganized its educational systems. His main concern was to organize an architectual course based on science and to …

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  • 近代デザインの軌跡と洋楽 2 : バウハウスの周辺

    小林 洋 日本デザイン学会研究発表大会概要集 45 (0), 52-53, 1998

    This Research Is A Study On The Involvement Between Bauhaus And Music. 1. Johannes Itten's And Wassily Kandinsky's Basic Design Education And Music 2. Oskar Schlemmer's Experimental Ballet And Music …

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  • パウル・クレーのプリミィティブ

    石野, 眞 島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 31 1-5, 1997-12-01

    ...パウル・クレーは音楽性を豊かに感じさせる色彩あふれる画面とメルヘンの世界に誘いかける繊細な響き、線描や記号の絵画として、ひろく知られるスイスの芸術家そしてドイツ・バウハウスの教授、美術教育者でした。...

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  • デザインと身体 : バウハウスにおけるもうひとつの水脈をめぐって

    青山 智津子 デザイン学研究 44 (1), 43-52, 1997

    ...バウハウスは1919年にワイマールに設立された, 芸術とテクノロジーの一体化を目指した運動であり, 20世紀の芸術, 文化, 教育, 科学技術などの多面的な展開を予言的に示したものということができるだろう。しかしながら実際にはグロピウスの指導のもと, 産業合理化, 労働負担の軽減を目指した近代デザインの到達すべきモデルという姿が, バウハウスの基本的なイメージとして歴史的に総括されつつある。...

    DOI 参考文献38件

  • <原著>アール・デコの線,形,素材感を反映したヘアー・デザインの制作

    富田 知子, 秋田 留美 山野研究紀要 2 (1), 79-87, 1994-03-25

    ...ヴィダル・サッスーンが60年代にサッスーン・ボブの開発に当たり,バウハウスの建築家やル・コルビュジェなどの,モダニズムの建築家たちのデザイン思想を取り入れたのは周知のとおりである。その後,70年代のモダニズムの行き詰まりを経て,建築様式の世界では,ポスト・モダンと総称される潮流が続いてきた。そして,ポスト・モダンの時代に,多くの過去の歴史的建築スタイルは新しい命を吹き込まれ,現代に蘇ってきている。...

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