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検索結果 39 件

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  • 近世アルザスにおける紛争と秩序

    安酸 香織 史学雑誌 129 (11), 1-33, 2020

    ...第二に、彼らは神聖ローマ皇帝とフランス王の双方の封臣として、多様な紛争解決手段を利用できた。しかし第三に、手段の複数性は、裁判所間、さらには皇帝とフランス王のより大きな紛争を引き起こす危険性を孕んでいた。彼らがこの危険を避け、当事者間の示談を試みたことは、多様な選択肢の一時的な放棄を意味したが、しかし結果として彼らの自立性を高めることにもなった。...

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  • シエナ市庁舎コンチストーロの間のベッカフーミ作天井画について

    坂本, 真惟 研究論集 14 1-14, 2014-12-20

    ...1529年からの神聖ローマ皇帝カール5世によるイタリア凱旋巡行のために,イタリア各地ではその地の最高の芸術家を動員して,その祝祭に備えた。イタリア中部の都市シエナも例外ではなく,カール5世来訪を歓迎するために,政府は多くの芸術家に作品制作を依頼していた。...

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  • ユリアヌス帝の意識のなかのローマ皇帝像--『ひげぎらい』における法律意識の分析を中心に

    南雲, 泰輔 西洋古代史研究 6 19-39, 2006-12-10

    ...本稿は分析対象として, 後世「背教者」と揮名された皇帝ユリアヌス(正帝位361-3年)を取り上げ, 彼の代表作『ひげぎらい』における彼の法律意識を軸として, ユリアヌス帝の意識のなかのローマ皇帝像を明らかにしようとする試みである。本稿の考察によれば, ユリアヌスは自らを「法律の上の専制君主」としてではなく「法律の守護者」であると措定し, ローマ皇帝は法律に従属しなければならないと表明する。...

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  • <論説>コンスタンティノープル三三〇年 : その実態と伝承の形成

    栗本 薫 史林 71 (2), 223-258, 1988-03-01

    ...ローマ皇帝コンスタンティノスが紀元三三〇年にコンスタンティノープルに対して果たした役割を、「遷都」・「帝国の再出発」とみなすテーゼは、近年疑問視されることが多い。そもそも、三三〇年に関する文献を検討すると、同時代及び比較的この年に近い時代の文献は評価する傾向が殆どなかったにもかかわらず、五・六世紀になると積極的に注目されるようになることがわかるのである。...

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  • <論説>ローマ皇帝の哲学者弾圧について

    南川 高志 史林 67 (1), 76-107, 1984-01-01

    オクタウィアヌス・アウグストゥスによって創始されたローマの元首政は、所謂五賢帝時代を迎えるまで様々な反対行為や陰謀に悩まされて安定しなかったが、とくに、紀元一世紀後半には皇帝に対する「哲学者」の反対行為及びそれに対する皇帝の 「哲学者」弾圧が生じており、元首政の政治史上に注目すべき特異な事件となっている。本稿では、研究史上philosophic opposition …

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  • <論説>セプティミウス・セウェールスとローマ元首政

    南川 高志 史林 65 (2), 280-315, 1982-03-01

    ...ローマ皇帝セプティミウス・セウェールスの登位と統治は、従来ローマ元首政に転換をもたらしたと強調されてきた。しかし、今日彼を「ハンニバルの復讐者」「最初の軍人皇帝」とし、単純に変革的皇帝と断定する学説にはもはや左祖できない。そこで、本稿ではセウェールス帝と元老院および元老院議員との関係に考察の範囲を限定し、セウェールス帝政権の性格の解明を試みた。...

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